墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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三成古墳(三成4号墳) 岡山県津山市中北下

三成(さんなり)古墳は吉井川の支流の久米川の、さらに支流の宮部川左岸に立地。

津山盆地の西端で峠を越えると真庭に至るルートを見下ろす場所にあり、すぐ南を中国縦貫自動車道や国道181号線、JR姫新線が通っています。

 

墳丘は密厳寺(みつごんじ)という真言宗のお寺の墓苑にあります。

 

山門の右手に古墳への案内表示。

 

その先の墓地前の広場。

 

上記の右のスロープを上がると説明板のある前方部裾に行けますが、それは後でわかったこと。すぐ右手の階段を上がりました。


上りきると目の前に前方後方墳の後方部。きれいな形に整備されています。

最初は手前側が前方部かと誤解しましたが、奥の説明板のある方がそうでした。

グーグルアースで。

ピンの位置が後方部墳頂で、上記の写真はその左上裾からのもの。

 

前方部側に立つ説明板。

国指定史跡 三成古墳 (さんなりこふん:三成4号墳) 
所在地:津山市中北下字三成
指定年月日:昭和54年10月23日
三成古墳は、前方後方墳という墳形に分類される古墳です。前方後方墳は、後方部と呼ばれる方形の主丘に、前方部と呼ばれる方形の突出部がついた形式をいい、岡山県内では約30基が確認されています。また、県北部においては、最大規模の古墳が前方後円墳ではなく、墳長91.5mの前方後方墳である植月寺山古墳 (勝央町)であるという特色があります。
この三成古墳は、昭和52年(1977)に発見され、岡山県教育委員会による発掘調査の結果、墳長35mを測る比較的小型の前方後方墳であることが明らかになりました。
墳丘は尾根を利用して築造され、後方部にのみ葺石があります。 山側に向く北面では旧地形にわずかな加工を加えた程度であるのに対し、平野に面した古墳の南から西にかけての面ではより丁寧に前方後方形を意識して墳丘がつくられていたことがわかりました。
埋葬施設は、前方部及び後方部の頂部にそれぞれ1基 (第2、第1主体)、 後方部墳丘斜面に1基(第4主体)、後方部墳丘裾に2基(第3、第5主体)、計5基の箱式石棺で、第3~ 第5主体の3基については、規模などからいずれも小児あるいは幼児用と考えられています。
第1主体からは仿製の変形四獣鏡・鉄剣・鉄斧・勾玉が各1点出土し、ほかに前方部と後方部が接する部分であるくびれ部から手鎌1点と、底部に孔があけられた壺形土器が出土しました。これらの副葬品の特徴と墳形、立地等からこの古墳は概ね5世紀初めごろの築造とみられ、この地域の首長およびその一族の墓と推定されています。
本墳は、昭和54年(1979)10月に国の史跡指定を受けたのち墳丘の整備を行い、築造時の姿を取り戻しました。
平成29年3月 津山市教育委員会

 

何歩か移動して、後方部を先端側正面から。

裾から2基、斜面から1基、箱式石棺が出ています。

 

後方部墳頂に上がって前方部方向を。左手前は墳頂の第1主体部・箱式石棺。

 

後方部先端方向。

 

第1主体部を入れて。

 

後方部から前方部へ渡ります。

 

前方部墳頂には第2主体部。


前方部から後方部を。

 

右手(北)の谷には墓地。

 

カクカクしたくびれ部の辺り。

 

前方部左隅から。

おそらく木々を刈ると、こちら側に、要の交通路が見渡せるのでしょう。

 

前方部右隅から。

 

引いた位置から。

 

墓地の側から。


お寺を後にして、マップにピンが立つ三成2号墳の方向を道路から遠望。

杉林の中の稜線のどれかがそうなのでしょう。