墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

美和山古墳群(2・3・6号墳) 岡山県津山市二宮

前回の三成古墳からは車で東に15分ほど、津山駅の西3㎞あたりで吉井川に向けた舌状台地に立地する美和山古墳群へ。

 

一回りして停められる場所を見つけました。丘の西側の道路沿いの標柱を入ると…

 

このようなスペースに出ます。側溝の蓋が一部だけなので脱輪要注意。

 

そこにあった説明板。

国指定史跡 美和山古墳群
美作地方最大の前方後円墳を含む古墳群です。北から1号墳(前方後円墳・全長83m)・2号墳(円墳・直径約40m)・3号墳(円墳・直径約40m)の3古墳で構成され、地元では伝説にもとづきそれぞれ胴塚・蛇塚・耳塚と呼びならわしています。
いずれの古墳も盛り土の表面を人頭大の河原石でおおい、2号墳・3号墳からは、円筒形の埴輪破片が発見されています。
その埴輪破片や1号墳の墳形などからみて、これらは古墳時代前半期(4~5世紀)にこの地域一帯で勢力をのばした豪族の墓と考えられます。
またこの地には、戦国時代(15~16世紀)に美和山城が築かれていました。
1号墳の前方部前面から後円部後方まで、東西に土塁状の遺構が残されており、1号墳北側のくびれ部には井戸跡もあります。これらはその美和山代に関連する遺構でしょう。
昭和60年3月31日 津山市教育委員会

 

古墳配置図の部分を。

 

園路を進んだ先に2号墳。

 

東裾に回り込むと説明板。

美和山2号墳(蛇塚:じゃづか)
墳丘斜面に段をつけ、2段に築きあげた直径40mの円墳で、高さ7m、墳頂の平坦な部分の直径は12mあります。葺石とみられる転石がところどころで露出し、円筒形の埴輪破片も採集されているので、墳斜面には人頭大の河原石が敷き固められ、円筒埴輪列が巡らされていたものと考えられます。
墳丘の2段築成とあわせ、大型古墳のあり方をよく示している古墳です。
昭和60年3月31日 津山市教育委員会


墳頂の様子。

 

2号墳の斜面。奥に3号墳。

 

南側からの2号墳。

 

3号墳への緩い下り。

 

その説明板。

美和山3号墳(耳塚)
丘陵南端に位置する円墳で、径40m、高さ5m、墳頂の平坦な部分の直径は13mあります。
墳斜面を人頭大の河原石でおおい、円筒形埴輪破片が採集されていることから、2号墳同様埴輪列が巡らされていたと考えられます。
本古墳の南側で道路建設の際、埴輪円筒棺を用いた埋葬施設が調査されており、これも3号墳に伴うものと考えられています。
また、古墳北側には幅10mほどの濠状の凹地がありますが、これも古墳築造時の加工の様子を示しています。
昭和60年3月31日 津山市教育委員会

 

3号墳の墳頂。

 

3号墳から2号墳側(北側)を。説明にある「幅10mほどの濠状の凹地」が判ります。

 

南側から見上げた3号墳。


3号墳のすぐ東には龍澤寺。

 

来た園路を上り返して、2号墳を過ぎたところに6号墳。

 

その先の全体図で知りました。6号墳は推定直径17mの円墳とのこと。

 

振り返っての6号墳。


その丘の頂上が1号墳でした(次回で)