前回のつづきの美和山古墳群、その盟主墳の美和山1号墳は全長83mの前方後円墳。
後円部側から。左に続く前方部。
1号墳の説明板。
美和山1号墳(胴塚)
前方部を西に向けた全長83mの前方後円墳で、前方部幅30m・同高さ5m、後円部径50m・同高さ9m、墳頂部の平坦な場所の直径は18mあります。
墳丘の斜面は、人頭大の河原石で覆われていますが埴輪が用いられていたかどうかは不明です。全長83mという墳丘規模は、勝央町植月の寺山古墳(前方後方墳)とならび、美作地方最大級の古墳で広範な地域を統合した豪族の墓であろうと考えられています。
昭和60年3月31日 津山市教育委員会
後円部・前方部の先に土塁がくっついています。戦後時代に美和山城として使われたようです。
見上げた鞍部。
そこから墳頂へ。鞍部から後円部を。
後円部からは丘の北側も望めました。目の前は中国自動車道。
東方向。
東方向をズームで。よく見ると津山城が写っていました(左奥の丘、その右端に櫓の建物)
南には吉井川。青い橋桁が国道53号線。
後円部から前方部を。
墳丘南側面のくびれ。
前方部へ渡って後円部を。
スマホ広角で。
墳丘の北側面。
前方部右隅に降りて。右が後円部。
前方部先端側。左奥に土塁が、戦国時代に築かれたと考えられています。
土塁の先端側を。
土塁から見た墳丘北側面。
北側面をパノラマ撮影。
こちらは後円部先端側の土塁。
その土塁から見上げた後円部。
土塁の標柱と説明板もありました。
美和山城土塁跡
1号墳には、前方部前面から後円部後方(現在地)まで、古墳上に細長く土塁が延びています。
これは後世に加えられた土盛の跡で、戦国時代(15~16世紀)にこの地に築かれていたと伝えられる美和山城の防塁の遺構と考えられます。
平成17年3月31日 津山市教育委員会
後円部先端側をパノラマで。右よりの木の下が土塁。
園内には寄棟屋根のあずまやも。
あずまや前から、雄姿を再び。