墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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津古1号古墳 福岡県小郡市津古

前回の原口古墳からは南東に6㎞ほどの、三国が丘周辺の古墳を巡りました。最初は、津古(つこ)1号墳。

整然とした住宅街の中に古墳が公園として残されています。

 

2月の午前7時半頃でした。寒さが懐かしい…

 

現地説明板があると嬉しいです。(半年後に読んでいますが…)

津古1号墳
所在地:福岡県小郡市津古永前641-34
西鉄大牟田線津古駅の西南方向の低丘陵上には古墳時代前期に属する前方後円漬2基と方後1基からなる古墳群と、その北側にある舌状台地状の河岸段丘には弥生時代から古墳時代にかけての住居跡群が発見されており、これらを含めて津古遺跡と呼ぶ。遺跡の調査は昭和43年8月から11月まで実施されており、現在ではこの「みくにの団地」内に津古1号墳が保存されている。
津古1号墳は未発掘であるため内部主体は不明である、古墳は標高52mの丘陵頂部にあり、前方部を北側に向けた主軸長約35mの前方後円墳である。この古墳のすぐ東側の土陵上には津古2号墳、津古3号墳と称する古墳があった。 
津古2号墳は主軸長約32m、前方部幅約10m、後円部径約19mの前方後円墳である。盗掘を受けていたが内部主体は木棺であったことが確認されており、刀子3本、小玉2個が検出されている。周溝からは小形丸底壺、小形器台、舟形文様の線刻を有する壺などの古式土師器が出土している。前方部は南に向いており、1号墳とは逆方向に位置する。 
津古3号墳は、津古2号墳に南接して所在しており、一辺約13m、封土高1m弱の方墳である。周溝からは、小形丸底壺、二重口縁壺などの古式土師器が出土しているが、内部主体は不明である。 
ここに保存されている、津古1号墳は古墳時代前期に関する数少ない前方後円墳として学術上にその価値は高く、また我々の祖先の生活を知るうえからも大切にしなければならない遺跡です。

 

こちらのサイトには、墳頂42m、4世紀前半の築造とありました。

津古1号墳 | 観光スポット | 【公式】福岡県の観光/旅行情報サイト「クロスロードふくおか」

 

墳丘に上がるときは、いつもわくわくします。

 

登ったところが後円部墳頂でした。少し凹みあり。

 

そこから北側、前方部方向。尾根筋が細くなっています。

 

その奥には宝満川支流の宝珠川。川向うの木立(下の写真中央、上の写真の右)にも、なんだか墳丘っぽさが。

 

西方向。奥は背振山地でしょうか。

 

振り返った後円部南方向。中央奥の木立が津古永前遺跡。墳丘は残っていないものの、弥生時代終末期から古墳時代前期にかけての埋葬施設が検出されています。

 

東方向には平野が広がります。冬なので見通しが効きました。

1㎞ほど先に宝満川、筑後川の支流です。

 

前方部端へ渡って後円部方向を。

 

前方部右裾から。

 

前方部左裾から。ところどこににある刈り込まれた低木が可愛らしい。

 

横(東)からパノラマで。左が後円部。

2024年2月下旬訪問