墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

生目古墳群 9号墳・33号墳・11号墳・12号墳・7号墳・5号墳・19号地下式横穴墓 宮崎県宮崎市大字跡江

前回の14号墳を見た後、芝生広場沿いに北へ進み、台地が最もくびれて狭くなっている箇所を抜けると、すぐにのっぺりした円墳の9号墳があった。

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回り込むと表示板。

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墳丘へ上がって振り返る。すぐ先の木立が33号墳。

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9号墳の北端まで下がって、33号墳の方向を。

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9号墳裾にある説明板を読むと、なんと33号墳は9号墳の前方部の可能性が高いことが調査でわかっているそうだ。前方後円墳としての復元長は60mになるという。

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生目古墳群9番目の前方後円墳発見か⁉
従来、生目9号墳と33号墳はそれぞれ別の円墳と考えられてきました。

ところが発掘調査の結果、9号墳を後円部、33号墳を前方部とする一つの前方後円墳である可能性が非常に高くなりました。もし前方後円墳だとすると生目古墳群の中で9基目の前方後円墳が確認されたことになります。

上の写真は、33号墳の南側の周溝を確認した際のものです。33号墳は墳丘の大部分を失っていますが、周りに巡らされた溝(周溝)はかろうじて残っていました。円墳であるならば曲線となるはずの溝が直線的に、しかも9号墳に向けて伸びている様子がわかります。
前方後円墳であることを確認するためには後円部と前方部のつなぎ目である「くびれ部」を見つけることが一番確実です。しかし生目9号墳と33号墳の場合は「くびれ部」は完全に削られ失われていました。

そこで、前方部の先端の角、「隅角(すみかく)」を確認し、前方後円墳であることを確かめる調査をおこないました。その結果、周溝は前方部前面には廻らず、「隅角」に向かって浅くなり。そこで溝が無くなっていることがわかりました。これは生目5号墳や14号墳でも確認されている、南九州の前方後円墳で度々みられる特徴の一つです。くびれ部が失われていることから断定はできませんが、9号墳と33号墳は一つの前方後円墳の可能性が非常に高く、その場合の墳頂は約60mです。
平成27年5月 宮崎市教育委員会文化財課 生目の社遊古館

 

33号墳を近くから。

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グーグルアースで。中央の円墳が9号墳。右下が33号墳で、ちょうと木の影のかかり方が前方部のようになっている。 

 

9号墳から東側。 2つの墳丘は、左が11号墳、右が12号墳。

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12号墳を近くから。 

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11・12号墳についての説明板。

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生目11・12号墳
12号墳は発掘調査で周溝が確認され、元々、直径20m、高さ2.5mの円墳であったことがわかりました。11号墳は周溝が完全に削られているため、本来の大きさや形状はわかりませんが、古墳のそばからたくさんの土器が出土しています。
どちらも葺石や埴輪などを持たない、土がむき出しのままの古墳です。
宮崎市教育委員会

 

 その北側には7号墳。右が後円部、左が前方部。 墳長46mの前方後円墳

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駐車場近くの説明板には下記のように書かれていた。

謎の多い7号墳
5世紀後半に造られた古墳群最後の前方後円墳です。葺石は上の段だけに葺かれ、並べられるはずの埴輪もありませんでした。また、古墳の周囲には11基の地下式横穴墓が発見されており、前方後円墳と地下式横穴墓、両方のお墓が密接に関係した生目古墳群を象徴する古墳でもあります。

 

 前方部右裾側から。調査中か保護工事中のようで、墳丘の周りにはロープが張られていた。

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北側から見た7号墳。左が後円部、右が前方部。

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 7号墳にも詳細な説明板があった。

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生目7号墳~前方後円墳と地下式横穴墓
7号墳は5世紀の終わり頃に造られた、墳長46mの前方後円墳です。墳丘は後円部、前方部共に2段に造られていますが、葺石は上段にだけ施されています。墳丘の周囲には周溝が巡らされており、後円部の北西側からは造り出しと呼ばれる突出部が見つかりました。この造り出しの周囲からは祭祀に使われたと考えられるたくさんの土器が出土しています。
周溝やその周辺からは、10基の地下式横穴墓が発見されています。その中でも造り出しの墳丘を挟んで反対側、後円部の南側にある18号地下式横穴墓(生目古墳群の中で18番目に発見された地下式横穴墓)は、周溝内に竪坑を掘削し、そこから後円部の中心に向かって玄室(遺体を納める空間)を掘り込んでいます。加えて玄室の規模がレーダー探査の結果、5m以上の大規模なものであることが明らかになり、7号墳を造った首長が埋葬されていると考えられています。全国的に広がる前方後円墳と、南九州の地域的な墓制である地下式横穴墓が融合した、この地域の歴史を考える上で非常に貴重な調査成果です。
(7号墳と地下式横穴墓の詳しい説明や出土した遺物は生目の社遊古館に展示しているよ!)
宮崎市教育委員会文化財課 平成26年6月 

 

7号墳の後円部先には台地下との連絡階段があった。

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そこから南東側。宮崎市街方向。 

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ズームで。宮崎駅まで5㎞ほどの距離。 

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7号墳の北側には、美しく復元された5号墳がある。 

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詳しい説明板。 

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甦った!5号墳
5号墳は、約1600年前の古墳時代中期の初め頃に築かれた長さ57mの豪族の墓で、生目古墳群内では、小さい規模の前方後円墳です。古墳は、前方部・後円部とも2段に造られ、斜面には川原石を重ねて葺き、瓦屋根のような葺石がありました。遺体は後円部の最も高い部分に埋葬されています。
また、5号墳には、独特な形をした埴輪が並べられたことも解っており、この地に栄えた当時の豪族の一端がうかがえます。この5号墳は、発掘調査の結果をもとに当時の姿に復元しました。
・発掘調査当時の5号墳
5号墳は墳丘表面のほぼ全体を調査しました。墳丘に並べられた葺石は、墳丘が崩れるのを防止するためと、墳丘表面を彩るために並べられたと考えられます。約9万個の河原石が使われており、人の手によって近くの大淀川から運ばれました。それだけでも、大変な作業だったことでしょう。
・奇妙な形の埴輪
5号墳から出土した埴輪も元々は円筒埴輪や壺形埴輪をモデルに作ったと考えられますが、その形は独特なものでした。埴輪は東側の低地にあった集落から見える東側だけに並べられました。埴輪の実物は宮崎市埋蔵文化財センターでご覧になれます。
・復元工事も大変でした。
現在ご覧になっている5号墳は本当の古墳の上に、一旦土を盛り、その上から再度葺石を葺きなおした古墳です。本当の古墳を傷めないように慎重な工事をおこないました。土を盛ったり、葺石を並べる工事は、昔と同じようにすべて手作業で行われました。
宮崎市教育委員会

 

個性的な埴輪が並んでいた5号墳
長さ57mのこの前方後円墳は5世紀の始め頃に造られました・墳丘上には実に個性的な形をした埴輪が並べられていました。この5号墳は、発掘調査の結果を参考に、造られた当時の姿に復元され、みなさんを古代空間へいざないます。 

 

前方部左裾から。奥に後円部。

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前方部上から後円部。墳長は57m。 

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後円部へ移動して、前方部を振り返る。 

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グーグルアースで。微妙に左右対称ではない。 

 

周堤から鑑賞する。

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上記の左にも写っているが、周堤に地下式横穴墓が復元されている。深さは1mほど。

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下へ降りて穴の中を。

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入るには狭すぎた。 

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説明板も。南九州独特の地下式横穴墓の形を実感することができた。今回の墳行でレプリカを見ることができたのはここだけで、貴重な機会となった。

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5号墳に寄り添う19号地下式横穴墓
この19号地下式横穴墓は5世紀前半に造られた5号墳の周溝の外側のこの位置から発見されましたが、5号墳が造られた後、間もなくしてこのお墓が造られていたことから、5号墳の埋葬者に近しい関係の人が埋葬されたと考えられます。
玄室からは遺体に添えられた鉄のヤジリが2本出土しています。また、このお墓の周囲からは、埋葬後にまつり(お葬式)をした際の土師器や高坏の壺が残されていました。
19号地下式横穴墓のように生目古墳群では、前方後円墳や円墳の周囲でたくさんの地下式横穴墓が発見されています。

※19号地下式横穴墓は、原状のものを保護し、同じ位置・規模でレプリカを造っています。
宮崎市教育委員会

 

西側からみた5号墳。 

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この背面側に、群中最大の3号墳があった。