墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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すみだ郷土文化資料館 東京都墨田区向島

前々回のつづき。

すみだ郷土文化資料館は、三囲神社と牛嶋神社との間に位置していた。

 

入館料は一般100円。

このときは3階が工事中で展示は1,2階。1階には考古資料もあった。

以下はごあいさつ 墨田区公式ウェブサイトより。

墨田区は、古代から隅田川を中心に発展し、江戸時代には独特の文化が栄え、明治以降も近代産業の発祥の地として特色ある社会が形成されてきた地域です。

しかし、過去に関東大震災・東京大空襲によって著しい被害を被り、貴重な文化遺産を消失していて、また、現在においては近年の生活様式の変化や、進む再開発、人口の流動などにより、昔から伝わる伝統文化・慣習・風俗が忘れ去られ、失われつつあります。

そこで、このような歴史と伝統を持つすみだ独自の郷土文化を後世に伝えることや、貴重な歴史・民俗資料等の収集・保存・活用を図り、地域文化の一層の発展を期して、区民の知的・文化的創造力を育む活動に応えていくための拠点として、墨田区では「すみだ郷土文化資料館」を建設し、平成10年4月12日に開館しました。

皆さんの要望に応えるよう努力しておりますので、皆さんもぜひご活用ください。

 

2階の展示は3つのコーナーに分かれていた。 

強烈だったのは東京大空襲の体験画。

昭和20年(1945)年3月10日の東京大空襲では東京全域で約10万人以上が犠牲となったが、その被害の中心地が隅田川流域だった。

「うまい絵」ではないが、かえってそれが恐ろしい。たまたま地獄から生還できた方々(主に当時の子どもたち)が実際に見た光景であることは、短いキャプションのでしっかり伝わってくる。何十年も経ってからやっと描けるようになったというコメントがリアルだった。

 

次のコーナーはうって変わった華やかな雰囲気のジオラマ。

花見でにぎわう明治末年の墨堤がつくりこまれていた。

10分おきぐらいで、照明や音響を入れて動くようになっていたが、花見客のざわめきや露店の呼び込みの声、三味線の響きなどで賑わいの雰囲気が出ていてとてもよかった。

2階・「隅田川」のフロア 墨田区公式ウェブサイト

 

最後のコーナーは雛人形。3/6までの特別展示。

空襲で焼け野原となった当地でも、内側は無事だった「蔵」がいくつかあった。 そこで残っていた江戸期や明治期の雛人形たちなので感慨深かった。

 

規模は大きくなくとも、印象に残る資料館だった。

 

資料館の建物のあたりは、佐多稲子旧居跡でもあった。

佐多稲子 旧居跡

小学校の頃から利発な文学少女であったが、11歳の時に、結核で亡くなった母の治療費や父の放蕩などで家計はひっ迫。叔父を頼って、父、祖母とともに長崎から上京、向島小梅52番地(現在、墨田公園内)の家に身を寄せることになる。牛嶋尋常小学校5年に転入したものの、家計を助けるために、キャラメル工場で働かなければならず、結局、小学校は5年で中退してしまった。その後、料亭、工場、書店などで働きながら、小説や短歌を投稿。これらの経験が、後に「キャラメル工場から」という作品にまとめられ、出世作となった。

戦後、すぐに書かれた自叙伝ともいえる「私の東京地図」には、長く暮らした向島周辺のことが書かれている。「私の地図の、江戸案内の版画的風景には、三囲神社も書かれている。いつもひっそりとしていた神社だ。淀んだどぶ池のそばに、閉めたままの障子の白さを見せていたのは其角の家だ、と子ども心にも知っていた」

 

告白すると自分は佐多稲子と聞いて、佐久間良子や有馬稲子と混同して女優かと思ってしまった。

「私の東京地図」は題名にも惹かれるものがあるので読んでみたい。