前回のつづき。
東武スカイツリーラインの高架をくぐって北へ、墨田区郷土資料館を目指す。
北西の言問通りへ向えばよかったが、誤って曳船川通りを北東へ向ってしまった。
押上2丁目の交差点にあった舟形の石碑。かつてその通りは川だった。
曳舟川の由来
曳舟川は、徳川幕府が本所開拓に伴う上水として、万治2年(1659)に開削したものです。当時は、本所上水、亀有上水などと呼ばれ、瓦曾根(現越谷市)の溜井から分水して、亀有から四ツ木をへて本所と深川の各地に配水されたようです。
その後、享保7年(1722)には上水としては利用されなくなりましたが、川筋の脇を四ツ木街道が通り水戸街道に接続しているため、次第に重要な交通路として利用されるようになりました。
この川が「曳舟川」と呼ばれるようになったのは、「ザッパコ」と呼ばれる田舟のような舟に旅人を乗せ、岸から引かせたことによるものです。
また、曳船川には古くから多くの橋が架けられており、薬師橋、鶴土手橋、地蔵橋、庚申橋などの名前が文献に見られますが、この付近(小梅児童遊園)にも八反目橋が架けられていました。この辺りの小梅という地名は、元は梅香原(うめがはら)と呼ばれる梅の木が多い地域だったことによるもので、八反目の名も八反梅(80アールの梅林)から来ているとの説もあります。
昭和29年6月東京都告示によって川としての役割は廃止され、昭和30年代を中心に埋め立てられ、道路として整備されました。平成5年3月 墨田区
現在は2km北東に大正期に開削した荒川放水路が横切るが、かつて曳舟川を遡ると葛西用水路につながっていた。
途中で道を誤ったことに気づいて修正。住宅街に古い工場のような建物。
水戸街道にも面していた。
三囲(みめぐり)神社の南側、道路を隔てたところの煉瓦塀に目を惹かれた。
遠回りになったが発見があった。
積み方が凝っている。
内側は現在は駐車場。
三囲神社。参道は道路とは斜めに、真北に向っていた。
混んではいないものの、次から次へと参拝客が絶えなかった。
神社全体の説明板
三囲神社
弘法大師が祀ったという田中稲荷が始まりとされる。当時は、現在地よりも北の田んぼの中にあった。文和年間(1352~56)に近江の三井寺の僧でもある源慶が社を改築した折、土中から白狐にまたがる老翁の像を発見。その像の周りをどこからともなく現れた白狐が、三度回って消えたという縁起から「三囲(みめぐり)」の名がつけられた。
三井家は江戸進出時にその名にあやかって守護神とし、平成21(2009)年に旧三越池袋店からシンボルだった青銅製のライオン像が境内に移設された。
日照りが続いていた元禄6年(1693)、俳人宝井其角が能因法師や小野小町の故事に倣い、「ゆたか」を頭字に読み込んだ「ゆふだちや 田を見めぐりの 神ならば」の句を献じたところ、翌日には雨が降り評判になったという話が伝わっている。
それほど違和感なく参道横に横たわるライオン像。
明るい境内だった。
目尻の下がった温和な表情のことを、ここいら辺の職人言葉で「みめぐりのコンコンさんみてぇだ」と言ったそう(説明板より)
享和2年(1802)に「向店」が奉納。越後屋本店(ほんだな)の向かいにあって木綿を主に扱っていたとのこと。
句碑なども含めさまざまな石碑が林立する境内。
隅田川に面する鳥居もあった。
中央左は木遣(きやり)の由来が書かれた木遣音頭の碑。右の囲いの中は三井家から移築された顕名(あきな)神社。
大きな包丁塚もあった。
鳥居が並ぶエリアも。
いくつもあるお社のひとつには老翁老嫗(ろうおうろうく)の像
その説明板。
老翁老嫗の石像
所在 墨田区向島2-5-17 三囲神社内
元禄の頃、この三囲稲荷にある白狐祠を守る老夫婦がいました。願い事のある人には老婆に頼み、老婆は田んぼに向って狐を呼びます。すると、どこからともなく狐が現れて願い事を聞き、またいずれかへ姿を消してしまうのです。不思議なことに、他の人が呼んでも決して現れることがなかったそうです。
俳人其角(きかく)は、そのありさまを「早稲酒や狐呼出す姥が許」と詠んでいます。老婆の没後、里人や信仰者がその徳を慕って建てたのが、この老夫婦の石像であると伝えられています。老嫗には「大徳芳感」、老翁像には「元禄十四年辛巳五月十八日、四野宮大和時永、生国上州安中、居住武州小梅町」と刻まれています。
平成18年12月 墨田区教育委員会
石像の奥の、ちょっと地面が盛り上がったような場所に祠があった。
がっしりとした蔵もあった。
墨田区による「鬼平情景」という説明板もあった。
三囲神社(三囲稲荷社)
三井家(越後屋)が江戸進出時に三囲の名にあやかって守護神としました。港区にあった三井八郎右衛門邸が小金井市の江戸東京たてもの園に移築される際には、屋敷神であった、顕名霊社、三角鳥居、家紋の入った水鉢などが寄贈されました。
鬼平犯科帳にも数回、登場しますが、特別長編「迷路」の「妙法寺の九十郎」には、三囲稲荷社は、大川の堤の道を一段下った鳥居から田圃の中を松並木の参道が東に伸びた先にあり、境内は広くはないが、美しい木立と竹林に囲まれ、本社は立派なものであると、当時のたたずまいが描かれています。