墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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梶山古墳 鳥取県鳥取市国分町岡益

前回の蒜山からは車で東に1時間半ほどの、鳥取県の梶山古墳を目指しました。

 

毎年10月最初の土日に、彩色壁画のある石室が公開されています。

 

解説ボランティアの方々もおられます。

 

梶山古墳の解説。

国指定文化財 史跡 梶山古墳 
所在地:鳥取市国府町岡益
指定年月日:昭和54年7月21日
史跡梶山古墳は、千代川の支流、袋川の上流に位置します。周辺には白鳳時代の寺院跡である岡益廃寺跡や、エンタシ・パルメット文様で有名な岡益の石堂などがあります。梶山古墳の石室は、凝灰岩の切石を使ってとてもていねいに造られた見事な横穴式石室です。
昭和52年、中国地方で初めて彩色壁画が発見され、奈良、高松塚古墳に次ぐ第一級の装飾古墳として全国的に脚光を浴びました。彩色壁画は、玄室の奥壁に体長53㎝の魚の絵とその上の中心に曲線文があり、両側に同心円文と三角文が画かれています。この古墳から須恵器・土師器・棺の金具などが発見されました。これらの出土遺物から7世紀前葉に造られ、9世紀頃まで追葬あるいは、長期にわたる祭祀行為が続けられていたものと推定されています。
古墳 の保存修理事業に伴い、試掘調査が平成3年度から7年度まで行われ、当初円墳と思われた古墳が変形八角形墳で、墳丘の端には変形八角形を明示する外護列石が石 垣状に積まれていました。古墳の大きさは、周囲約40mの墓域の中に対角長17m、北東隅の一辺が極端に短いのですが、前面から見て左右対称に見えるように八角形を意図しながら設計されています。更に、古墳の前には祭祀の広場として使われた方形壇が確認されています。最も高いところで、高さ約3m、東西方向約14mという大規模なもので、玄武岩で石垣状に築いてあります。
古墳は平成元年度から8年度まで保存修理が実施され、当時の姿に近い形で復元し います。 
平成22年3月 鳥取市教育委員会

 

開口部側の斜面下には、葺石というより石垣が積まれています。大谷1号墳ほど大きな石ではありませんが、みっちりと。


別の説明板。地形に合わせた「変形八角墳」です。

史跡梶山古墳
史跡梶山古墳は、大正時代から切石造りの石室が注目されていたのですが、昭和53年に中国地方で初めて彩色壁画が発見され一躍有名になりました。
この価値ある古墳を後の世に残し、保存していくため平成元年度から保存修理事業を実施しました。
事業の一環の中で実施した発掘調査で、国内最古の変形八角形墳に石垣で囲まれた大規模な方形壇 (人工的に造ったお祭りの広場) を備えた古墳であることがわかり、更に脚光を浴び保存修理の意義を大きくしました。ここでは、方形壇について紹介します。国府町

 

いざ石室内へ。


石室の解説。

史跡梶山古墳
所在地:鳥取県岩美郡国府町大字岡益字梶山ノ上580・590
指定年月日:昭和54年4月21日 国指定史跡
1,種類・時代:古墳・飛鳥時代 7世紀前葉
2,規模・現状
■古墳の形式:変形八角墳 最大径17.0m 修復後最大径18.0m
■方形壇:石垣高(1.7m~2.0m)最大高3.0m・延長14.0m
■石室:玄室(長さ2.4m 幅1.36m 高さ1.64m)
玄門(長さ1.5m 幅0.76m 高さ1.64m)
前室(長さ2.8m 幅1.64m 高さ1.70m)
羨道(長さ3.2m 幅1.4m)
■彩色壁画:魚(体調53㎝ 幅1.4m) 三角文・同心円文・曲線文

3,古墳の概要 
石室は凝灰岩の大きな石をくり抜いたり、平らに切って加工した切石墳の石室です。石室の構造は、玄室 (遺体を埋葬した部屋)・前室・羨道とほぼ完全に残っており、玄室と前室の間には扉石をはめこむ加工の施された玄門があります。玄室奥壁には彩色壁画があります。古墳の形は変形八角形墳で、北東隅の一辺が他の辺に比べると極端に短いのですが、馬蹄形に造成した地形に制約されながらも八角形にこだわったものとみられています。また、古墳の南側には石垣で囲まれた方形壇 (祭祀に使う広場)が確認されています。築造方法は、ゆるやかな谷の斜面を固い地盤まで削った後、土器片を混合した土で整地してから外側を取り巻く石垣が築かれるのですが、外側の石垣が崩れるのを防ぐため更に内側の見えない部 分に石垣を埋め込み二重の石垣を築いています。方形壇の築造方法が発掘調査で明らかになったのは初めてで、これまでに発見されていない築造方法です。
梶山古墳は、切り石の立派な石室をもち、併せて変形八角墳に大規模な方形壇が備わった全国でも珍しい古墳です。築造者は、飛鳥時代にこの地方で文化的、政治的勢力を持ち合わせていた豪族とみられています。

 

こちらがその絵です。奥壁の上部に描かれています。

石室は公開されていましたが撮影禁止。自然光のみでの観察なので、天気の良い日の昼頃でないと、よくは見えないようでした。

 

玄室は各壁、天井が平滑な四角い一枚石で構成されています。

ベージュの石面に、それより濃い黄土色で残っていました(もともとはベンガラの赤)

魚の長さは53㎝。

 

壁画も見事ですが、閉塞の板石をはめ込む溝の精巧さも見事。

次のお客さんが来るまでの数分、しばし見とれていました。

 

見学後、外へ出て、側面から開口部を。

 

その前の段々。


墳丘をよく見ると、八角墳の角がわかるように番号札が置かれていました。

左角の8番から巡ります。

 

時計回りに7番。その向こうに6番。

 

6番の先に5番。

 

5番と4番の間は短いです。

 

その先に3番。

 

2番は正面からみた右端。

 

1番が開口部の脇にあったことは一周して気づきました。