墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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岡益の石堂 鳥取県鳥取市国分町岡益

梶山古墳で「お魚」を見た後は、県道の向かい側にある、岡益の石堂を訪ねてみました。

 

駐車場脇にあった”岡益石堂の森”案内図。石仏の森も気になりますね。


その横に石堂(いしんどう)の解説。壇ノ浦で入水した安徳天皇(1178~1185)の御陵参考地ではありますが、築造年代は7世紀頃なので500年ほど差が…

岡益の石堂(おかますのいしんどう:安徳天皇御陵参考地)
6m四方の基壇の上に厚さ40㎝前後の壁石でかこった石室が造られ、石室の中央に柱礎があり、その上にエンタシス(胴張り)のある円柱が建っている。この上にマス形をした中台が2個のっている。
中台の下の方には忍冬唐草文(にんどうからくさもん)が浮彫されている。この文様は中国の雲崗石窟寺院などのものによく似ており、このことが大陸的色彩が強いとされるゆえんである。一般に7世紀ごろと考えられている、明治29年に安徳天皇御陵参考地に指定され、現在は宮内庁で管理されている。

 

説明板はもうひとつ。

岡益の石堂
この石堂は、安徳天皇の御陵参考地として宮内庁の管理となっている。石柱はエンタシス式であり、その上の大斗にはうず巻きを入れた蓮弁と忍冬模様が刻まれており、中国の六朝時代の要素を含んでいて、我が国では全く珍しいものである。

 

整備された石段を上がります。

 

上がった先も、さすが御陵参考地。

 

いつもの高札も。

 

囲いの先、覆い屋の下に、石壁に囲まれた柱がありました。

 

肝心のズーム写真はピントが手前の蜘蛛の巣に…

円柱は高さ173㎝、直径約72㎝。

 

周囲を一回りしました。

 

背面側から。

こちら側からだと、柱の上に”大斗”が載っているのがよくわかります。

 

なぜ柱なのか、なぜ石の壁で囲まれているのか、基壇も合わせたセットのようにも見えますがこれは何なのか、墓なのか…

 

因幡万葉歴史館のサイトには、石灯篭と見る説、石堂の裏にある岡益廃寺との関連で石の塔とみる説など、様々な説があって「謎のまま」であると。

岡益の石堂(安徳天皇陵墓参考地) | 因幡万葉歴史館

 

「石の塔」については鳥取県埋蔵文化財センターのサイトに解説があり、岡益の石堂の西側に建物を建てるための地盤改良の跡が発掘調査で確認され、その北側にも建物が建てられていたことが分かっていて、それらを金堂と講堂そして石堂を塔と考えると、岡益廃寺は奈良県・法起寺と同じ建物配置となる「石の塔」を持つ寺院だった可能性もあるとのこと。興味深いです。

岡益廃寺跡 – 鳥取県遺跡MAP | 鳥取県埋蔵文化財センター