墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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赤間神宮・安徳天皇 阿彌陀寺陵 山口県下関市阿弥陀寺町

安徳天皇阿彌陀寺陵のある赤間神宮は、唐戸市場から国道9号を400mほど北東に進んだ左側、独立丘陵の麓にあります。

 

神社の駐車場は見当たらず。竜宮城のような建物が国道からも目立っていました。


水天門は1957年築の楼門ですが、「竜宮造り」の国登録有形文化財。迫力のある石垣。


Wikipediaによれば、赤間宮となったのは明治の神仏分離・廃仏毀釈後で、それまでは阿弥陀寺として、貞観元年(859)から続いてきたお寺だったとのこと。

 

水天門を見上げた位置から左の方、宮内庁の高札が見えましたが階段下には近寄れず。

 

水天門前の道を左に行くと、安徳天皇 阿彌陀寺陵(あみだじのみささぎ)の門の前まで行けました。

宮内庁のサイトによれば「円丘」とのことです。ここからは門の内側は覗えません。

https://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/081/index.html

 

安徳天皇陵は平安時代最後の壇ノ浦の戦いで亡くなったので、そのお墓は「古墳」とは呼べませんが、お参りしたかった陵墓でした。

安徳天皇、8歳だったとはいえ「海の中にも都はございます」との言葉を聞いた時、どんな気持ちだったのか…

 

門の前から望む関門海峡。

 

水天門をくぐって拝殿へ。

 

登った先が大安殿。

 

参拝後、左に「芳一堂」とのサインに導かれて。

 

耳なし芳一は、このお寺(阿弥陀寺)での話だったのですね。

 

※追記:芳一堂の隣には平家一門の墓。その向こうの土盛りが安徳天皇阿彌陀寺陵だったことを、かうひい堂さんに教えてもらいました。

 

帰路、鳥居の先に大きな貨物船が。

 

「赤間」の由来を検索すると、下記のサイトに3つの説が紹介されていました。

・海峡の両岸の神社で行われていた「和布刈(わかめ)神事」から、ワカメ→アカメ→アカマとなった説

・裏山に大きな馬の形をした紅色の岩石があったことから説

・船の中にたまる水を「アカ」ということから説

下関の地名34 「赤間」の由来 - 彦島のけしき

 

地図を見ると、関門橋の門司側の袂に和布刈神社がありますね。対岸の門司を今度は訪ねてみたいです。