墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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白峯陵(崇徳天皇陵) 香川県坂出市青海町御山

高松空港から車で50分ほどで、山上の白峯寺に到着。

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五峯(黄峯・白峯・赤峯・青峯・黒峯)からなる五色台の白峯(標高377m)に座しています。香川県を東西に分ける山ですね。

 

四国遍路八十八箇所の第81番札所でした。ここへ歩いて登るのは難儀だと思います。

と思ってお遍路を検索すると、もっと山奥のお寺が沢山。

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駐車場のトイレのマークもお遍路さん。

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門前から白峯陵へは、なんと立入禁止!

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心を落ち着かせて、まずは白峯寺に参拝しました。

参道脇の山門は唐破風付き。

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参道正面には護摩堂。

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白峰山の斜面はみかん畑が多く、参道には無人販売も。これで500円とは。

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護摩堂左側には石段が。「上 本堂」とあるので上ります。

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石段左手には薬師堂や行者堂、阿弥陀堂などが続きます。

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最上部にある本堂にお参りします。

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本堂の右の大師堂を。このお寺は紅葉の名所だそうですが、まだ緑でした。

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登って来た石段を下りて、崇徳天皇を祀る頓証寺殿へ。

はじめの護摩殿の左正面80mほど。

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この頓証寺殿を含め、先ほどの本堂や大師堂、御成門など、7つの堂と3つの門が重要文化財に指定されています。

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建物の左に御陵遥拝所のサインが。

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その先の石段と柵。

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柵の向こうの様子。本殿後ろの玉垣の先に墳丘があるようで…

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そもそも平安時代の天皇陵と認識せずに、時間をかけて上ってきて来てしまったところで、気を落としていましたが、駐車場に戻ると少し下った先に先ほどの立入禁止とは別ルートがありました!

一旦坂をおります。

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ズームすると瀬戸大橋が。

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折り返す道は玉砂利。

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いつもの高札がありました。「崇徳天皇 白峯陵」と記載。

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ちなみに、都から離れた場所にある御陵は、下関の安徳天皇陵、淡路島の淳仁天皇陵、そしてここ白峯陵の3か所だけになるそうです。

 

香川県と環境省による解説も。

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白峯御陵と崇徳上皇
白峯御陵は、崇徳上皇の御陵(お墓)です。都から遠く離れたこの地に御陵があるのはなぜでしょう。
崇徳上皇は保元の乱(1156)で武運つなたく敗れ、讃岐国に配流されてきました。讃岐在住8年、46歳(1164)で崩御され、稚児ヶ嶽の崖の上で荼毘に付され御陵が築かれたのです。
ここ、白峯寺や、坂出市府中町、林田町などには、上皇にまつわる伝説や、ゆかりの土地が多く残っています。
なかでも玉章木(たまずさのき:ケヤキ)の伝説は有名です。この伝説は崇徳上皇とホトトギスとの交流を描いたものです。上皇の悲運の生涯に同情し長い間人々に語り継がれてきたのでしょう。

鳴けば聞く 聞けば都の恋しきに
この里過ぎよ 山ほととぎす


香川県・環境省

 

高札からは石段を登ります。

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登って振り返って。

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上がった先の様子。

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手入れの行き届いた遥拝所でした。

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さきほどの頓証寺殿の北西隣でした。

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奥は視認できず。

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古墳巡りの参考にしている「古墳の地図帳」に記載されていたのでチェックしていましたが、本の記載は12世紀の築造で形式は「方丘」、下記の解説。

第75代崇徳天皇陵。保元の乱に敗れこの地に流された崇徳上皇が深い怨みを持って亡くなり、その怒りを鎮めるため御陵東側に頓証寺殿が建立された。のちに明治天皇が勅使を遣わして御霊を京都へ還し、白峯神宮を創建した。

 

白峯寺 - 坂出市ホームページにも詳細がありますが、ここには「陵は、積み石の方墳であったと云われています。」とありました。

 

ということは、もしかしたら本当は古墳では?などと妄想してしまいました。

 

以下は、下りの道すがらの景色です。

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