橿原神宮前から2駅乗って飛鳥駅で降り、国道を北へ。線路の向こうに西日を背負う岩屋山古墳。
枝道に入って北側に目指す墳丘。
前方後円墳の右隅に出ます。宮内庁により欽明天皇に治定されている梅山古墳。
その西側にも小さな墳丘が。
吉備姫王墓との解説。
吉備姫王墓(きびひめみこのはか)
墓名を檜隈墓と称する。孝徳天皇と皇極(斉明)天皇の生母にあたり、「日本書紀」によれば吉備姫王(吉備嶋皇祖母命)は皇極天皇2年9月になくなり壇弓岡(まゆみおか)に葬られたとある。また、「延喜式」諸陵寮には欽明天皇陵と同じ陵域内に墓があると記されていることから、現在地に指定されている。
墓域内には江戸時代には欽明天皇陵の南側の字イケダの水田から掘り出された石造物4体があり、猿石と称されている。
西側に拝所があります。
柵の内側に石造が4体。
こちらがお猿さん似でしょうか。
爬虫類的な顔。
こちらのサイトによれば、4体の猿石は女(上記の爬虫類顔)・山王権現(猿的な顔)・僧・男と呼ばれているそう。
欽明天皇陵(梅山古墳)の陪塚とされている吉備姫王古墳は8m程度の小円墳とされるが考古学的な裏付けはなく、古墳ではないとの説もあるとのこと。
吉備姫王墓、猿石 - 公益財団法人 古都飛鳥保存財団|日本人の心の故郷『飛鳥』
拝所前から南西方向。岩屋山古墳が見えるかと思ったのですが…
北側は標高が上がっています。
北に歩きながら、右手の梅山古墳を。
拝所が見えてきましたが、墳丘の左(北)側面がよくわからず。
その先に拝所へ向かう路。
振り返った先、丘上は住宅地。その端には沼山古墳があります。
梅山古墳の拝所。
高札には「欽明天皇 檜隈坂合陵」
前方部左裾側から見通す側面。鏡のような濠でした。
振り返った拝所側。
さきほどと同じサイトによれば、梅山古墳の墳頂は約140m・後円部径は72mで推定、築造年代は古墳時代後期(6世紀初め~後半)。背後の丘陵を削った平坦面に盛土されるが、周濠は江戸末期の修復によるものとされているそう。宮内庁の発掘調査で葺石が良好に残っていることが明らかとなっており、造出しがある前方後円墳としては最も時代の下る可能性が考えられているとのことです。
欽明天皇陵 - 公益財団法人 古都飛鳥保存財団|日本人の心の故郷『飛鳥』
墳丘の南側の散策ルートから、前方部を。
こちらが後円部側。
上記の右の丘から振り返った梅山古墳。手前が後円部。
後円部先端側。
後円部の周濠。丘陵から削り出された様子が実感できました。
グーグルマップにピンが立つ、陪塚のカナヅカ古墳。
散策路を進むと、すぐ先に鬼の俎・鬼の雪隠がありました(次回で)