墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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墓山古墳 大阪府羽曳野市白鳥・藤井寺市青山

前回のつづき。

羽曳野市文化財展示室の見学後は、すぐ西の墓山古墳へ。

 

古市古墳群で5番目に大きい、全長225mの前方後円墳。

史跡古市古墳群
史跡 墓山古墳
所在地:羽曳野市白鳥3丁目他
指定:昭和50年2月22日
古市古墳群の中心部に築造された、古市古墳群では第5位の規模をもつ大型の前方後円墳です。墳丘の長さは225m、後円部の直径は135m、高さ21m、前方部の幅は153m、高さ19mで、周囲に濠と堤を巡らせています。墳丘は斜面の途中に2ヵ所の平坦面を設けて3段に築かれ、くびれ部の左右には造り出しを備えています。墳丘頂上と斜面の途中の平坦面には円筒埴輪列が設置され、要所には家や盾、蓋などをかたどった形象埴輪が立てられたと考えられます。内部の状況は不明ですが、後円部の中央に竪穴式の石室を設け長持形石棺を納めていると推定されます。
周辺には向墓山古墳、浄元寺山古墳、野中古墳など、墓山古墳に付属する陪塚が配置されており、このうち、野中古墳と西墓山古墳では、甲と冑、刀剣などの武器を中心に、鍬や手鎌などの農具、斧や鉇(やりがんな)といった工具などの鉄製品が、多量に埋納されていることが明らかになっています。
羽曳野市

 

航空写真部分をアップ。右下が前回の向墓山古墳で、その間に文化財展示室。

 

グーグルアースでも鍵穴形がくっきり。

 

説明板の立つ場所は後円部先端(東)側。そこから後円部の周りを進みます。

 

振り返った南側。

 

後円部北裾側から墳丘北側の周濠を見通して。宮内庁管理の古墳なので入れません。

 

ズームアウトして、墓山古墳(左下)を誉田御廟山古墳(応神天皇陵)とともに。

全長が225mもあり複数の陪塚を持つ墓山古墳ですが、自らも応神天皇陵の陪塚として、宮内庁に治定されています。

 

5月下旬に再訪した墓山古墳(の前方部先端側)

堤が墓地になっています。

 

墓地内にあった説明板。書き起こしをしていて、周濠から西側は藤井寺市であることを知りました。

墓山古墳
国史跡:1975年2月22日指定
藤井寺市野中3丁目他
時代:古墳時代中期中葉
古墳の形:前方後円墳
墳丘の全長:225m
出土したもの:多量の滑石製勾玉や円筒埴輪、家、盾、蓋、靫、短甲、人物形等の形象埴輪
墳丘は3段に築かれ、くびれ部の両側には造出しが設けられています。後円部の埋葬施設は南北に並んで2基あるとの記録があり、南側の埋葬施設には大型の長持形石棺を採用しているといわれています。墳丘の周囲には濠が巡り、その外側には幅32m前後の広い堤が全周します。墳丘や堤からは円筒埴輪のほか、形象埴輪が出土しています。なかでも盾を保持した人物を模した埴輪は、人物をかたどった埴輪として最も古いもののひとつです。
藤井寺市 平成28年3月

 

説明板の地図部分。

 

説明板の写真の埴輪の実物は、近つ飛鳥博物館で拝見できました。

言葉を発している感じがリアル。

 

墓山古墳の前方部右裾。

 

そこから、前方部左裾側を。

拝所は見当たりませんでした。