墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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大塚古墳(今宿古墳群) 福岡県福岡市西区

今回唐津へ行った際、糸島半島の付け根の古墳や遺跡もいくつか巡りました。

まずは東側の付け根、現在7基の前方後円墳が残る国史跡・今宿(いまじゅく)古墳群の大塚古墳へ。

 

グーグルアースでも整った形を確認できる、墳丘長64mの前方後円墳です。

 

墳丘を北側から。背後の三角は高祖山(たかすやま:419m)

 

周堤が復元されていて、墳丘が大きく見えます。

 

説明板その1

大塚古墳
大塚古墳は、高祖山(たかすやま)からのびる丘陵上にある墳長64m、高さ6.5mの古墳時代後期(6世紀前半)に造られた前方後円墳です。
墳丘は、東西方向に主軸をもち、盛土で2段に築造されています。その下段斜面は石で覆っています(葺石)。埋葬施設は未調査のため明らかではありません。
墳丘の周囲には、幅10m、深さ1.5mの周溝がめぐり(内濠)、溝の外には幅4mの土手(周堤)が造られ、されに幅5mの浅い溝(外溝)がめぐります。古墳全体は盾形の平面となり、外溝まで含めた東西方向の長さは約100mの規模をもっています。
昭和52年(1977)の保存整備のための調査で、周溝の中から人物(武人)・馬などの形象埴輪や、円筒・朝顔形埴輪が、また墳丘から須恵器などが出土しました。
今宿平野には、前方後円墳が13基確認されており、こうした古墳は地域を治めた首長の墓と考えられています。整然とした墳丘を今に残す大塚古墳は、今宿古墳群における首長墓の一つとして、北部九州の古墳文化を考える上で重要な位置を占めています。
平成27年3月 福岡市

 

説明板その2

大塚古墳と「国史跡今宿古墳群」
大塚古墳は、墳丘の長さ約64mの前方後円墳で、6世紀に造られました。墳丘の周りには濠がありますが、発掘調査の結果、濠の外側には堤(土手)があって、堤の外側にも濠をめぐらせていたことが分かりました。つまり、大塚古墳は2重の濠で囲まれていたのです。数多くの古墳が存在する福岡市内でも、このような古墳は珍しく、現在を盛土を行って当時の堤や濠の様子を復元しています。
周辺の山麓一帯には、この大塚古墳をはじめとした7基の大型前方後円墳があります。いずれも大きな力を持った首長の墓であり、首長たちは古墳時代の4~6世紀をとおして、この地に自分たちの墓をつくり続けていました。これら7基の前方後円墳は、平成16年(2004)、史跡「今宿古墳群」として国の指定を受けています。

 

後円部先端側から。

踏み跡が見えますが「古墳の上にのぼったり、かこいの中に立ち入ってはいけません」

 

周堤に立って西側を。左が前方部。iphoneで撮ると青が強調されます。

 

前方部左隅側から。


前方部を先端側から。

 

前方部右隅側から。

 

後円部側から。左奥へ前方部。

 

古墳公園内にミニチュア前方後円墳が造られていて、登りたかった気持ちを満たしてくれました。

 

北側の住宅街に、古墳へのプロムナードがありました。

 

地図で見たら500m続いていました。

 

思わせぶりな石組も。