墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

法恩寺山古墳群 大分県日田市刃連町

前回の薬師堂山古墳(未到達)の1㎞南に、法恩寺山古墳群のピンが立っていた。

住所の刃連町は難読地名。

刃連町=ゆきいまち、と読むそうです。

 

古墳群に近い北側の道を進んだが、入口らしき場所が見当たらず、また撤退かとあきらめかけていたら、南南東側まで回ったところに立派な看板があった。

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最近立てられたもの。刃連町壮年団のみなさま有難うございます!

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丘上へ、車は入れない林道が続いていた。

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朝日が差し込み始めた杉林を上る。

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程なくして金網に囲われた墳丘が現われた。

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第5号古墳。

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この反対側が開口していたようですが、見逃してしまいました…


5号墳ということは、少なくとも他に4基! その先に現れた4号墳。

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門扉と説明板も備えていました。

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昭和49年の説明板。

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法恩寺山第4号墳
7基の古墳の一つで昭和33年8月発掘調査 人骨3体・鏡・馬具・鉄直刀・鉄鏃・刀子・勾玉・管玉・小玉・切子玉・須恵器を出土した横穴式古墳で古墳時代の後期に属する。
昭和49年3月 日田市教育委員会 日田市文化財調査委員会

 

開口部も見えたが近寄れず。 

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斜面下側から見上げて。

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背の高い石碑も建てられていました。

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その隣には石に刻まれた解説(書き起こしは省略させていただきます)

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その左手を見ると、3号墳。

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斜面を上がって門扉の前へ。

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金網内側に説明板。

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第3号古墳略図
時代:6世紀後半(西暦680年頃)
墳形:円墳 径約20m
石室床面から墳頂まで約3m
石室構造:横穴式石室 内部全長8m 玄室奥行2.4m 間口2.3m 高さ1.9m 前室奥行1.8m 間口2.5m
彩画:赤
図文:円文 同心円文 三角文 人物 馬 鳥
遺物:玉類(棗玉、小玉) 馬具(轡、雲珠) 須恵器 

 

こんなにはっきりと、絵が残っているのでしょうか。

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開口部には網と動物の罠?

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3号墳の石碑も少し離れて立っていました。

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その先の2号墳の石碑も。

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2号墳を金網の間から。石室石材が露出。

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左が2号墳、右奥が3号墳。

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そこから振り返った、丘陵先端部に1号墳。

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回り込むと、詳しい解説板があった。

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法恩寺山古墳群
日田市刃連町641番地ほか
法恩寺山丘陵上に7基の円墳があり、古代日田の郷六日下部氏の墓に比定されている。
3号墳はこの古墳群中最大で、石室に彩色壁画がある。石室は横穴式で、羨道・前室・玄室を備え、玄室は奥行2.4m、間口2.3m、高さ2.3mを測り各室とも基底と袖石に巨石を用いている。
壁画は、玄室の奥壁、右壁、前室から玄室への袖石・楣石、羨道から前室の左右袖石などに、赤色顔料(朱)で円文や同心円文、人物や動物などが描かれている。
また、4号墳は昭和32年8月に発掘調査して、成人2体と小児1体と思われる被葬者を確認した。遺物に、仿製五獣鏡、直刀、刀子、鉄鏃、勾玉・管玉・切子玉等の玉類、鈴雲珠・轡等の馬具類、脚付壺・提瓶等の須恵器等が多数発見されている。この古墳の作られたのは6世紀中頃である。
昭和34年5月13日 国史跡指定
日田市教育委員会

 

全体説明板も。 

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ちなみに地図の線路の下側、法恩寺山古墳群から500mほど南の、豊後三芳駅あたりにはかつて「ダンワラ古墳」があり、出土した「金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡」のみが残っています。こちらのスタルペスさんのブログに詳しく(刃連町の由来も)書かれていました。

幻の古墳と法恩寺山古墳(日田市) | 九州の古墳遺跡巡り

 

昨年話題になった鏡です。

卑弥呼の鏡「可能性高い」大分・日田で出土の鉄鏡 中国・曹操陵の発掘責任者が見解|行政・社会|佐賀新聞ニュース|佐賀新聞LiVE

 

南側からの1号墳。

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地面に置かれていた注意書き。

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注意書
この法恩寺山古墳群(7基)は、昭和34年5月13日に山全体が国の史跡指定を受けた貴重な文化財です。大切に保存するために、柵の中へ立ち入ったり古墳の築石を持ち出したり土を掘ったりしないよう注意してください。
特に許可を受けた場合以外は古墳の柵内に立ち入らないでください。
なお4号墳の出土品は市立博物館に展示してありますのでご希望の方はおいでください。
日田市教育委員会

 

円墳の縁に石積みが見えました(後世のものかも知れませんが)

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1号墳脇から。右奥に3号墳があります。

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6,7号墳の方向は藪のようだったのですぐにあきらめました。

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額田大玉さんのサイトで見られます。

法恩寺山6・7号墳

 

5号墳の石室ズームも。

法恩寺山5号墳

 

OBITOさんのサイトでも。3号墳の開口部にはドアも取り付けられていたのですね。

大和國古墳墓取調室

 

日田市観光協会のサイトでは、3号墳または4号墳らしき石室の写真が見られます(が、絵はよくわかりません)

法恩寺山古墳群(国指定史跡) | おいでひた