前回の西隈古墳の1.2㎞南東には銚子塚古墳があります。(別の日なので曇りです)
県道31号の「金立特別支援学校入口」の信号のすぐ南側が入口です。
上記から振り返ったこの右への細道。軽トラでないと脱輪しそう。
グーグルアースで。
東西長軸で後円部を東に向けた全長100m近い前方後円墳が、周溝とともによく残っています。前方部先端があまり広がらない”柄鏡形”。
入口は右上の理容店脇。訪問時はそこがわからず周りの道路を一周しました。
細道の先は大きく開けて後円部と対面。
周溝に沿って南側を進みます。
後円部南側に標柱と説明板が見えてきました。
柵が途切れて墳丘への渡り土手があります。
左奥に前方部。
裾から見上げる後円部。高さは8m。
全長は98m。築造時期は4世紀末とのこと。
史跡 銚子塚
指定年月日:昭和53年3月11日
古墳型式:前方後円墳
古墳規模:全長98m、前方部幅32m・高さ4.6m、後円部径58m、高さ8m
ゆるやかな微高地上、標高15m付近に位置する前方後円墳である。前方部を西に向け、墳形は前期古墳に特徴的な柄鏡形で、後円部と前方部の比高差も大きい。前方部は戦中戦後の開墾と土取りで段状に削られ、斜面部は石垣となっているが、墳丘は良く残っている。後円部が3段に、前方部が2段に築成され、後円部には花崗岩質の葺石が多数認められる。
周濠は幅11.5m~28mと広く、墳丘に沿って巡っている。
内部主体は竪穴式石室と推定されるが実態は明らかでない。
大きな盗掘は受けていないようであり、内部主体や副葬品等は埋葬当時の状況が残っていると思われる。
本墳を特徴づける出土遺物に土師器の二重口縁壺がある。これは開墾中に偶然出土したもので、その出土位置は南側くびれ部の2段目テラス付近と推定される。いずれも丹塗りが施され、胴下半部が長くのびて、底部には焼成前の穿孔が認められるなど形態は壺形埴輪に極めて近い。
本墳はその墳形と出土遺物から4世紀末ころに築かれたものと推定され、当時の豪族の状況や古墳文化の伝播と成立を考える上で重要な意義を有している。
佐賀市教育委員会
上って振り返って。
後円部墳頂には忠魂碑。
後円部から前方部方向。
鞍部に降りて振り返って。比高差が3mほどあります。
前方部から後円部を。
そこから左側。
右側。
前方部右裾側から。
後円部先端側から、右奥へ前方部。
周囲の道路からは入りにくいですが、墳丘沿いは周溝を含めて開けた形で良く残っており、見学のしやすい気持ちのよい古墳でした。