今回の墳行で最後に訪ねた場所は徳島県の大代(おおしろ)古墳。
新大阪から神戸を抜けて淡路島を縦断し、車で2時間強。
毎年11月23日に限って墳丘に上がれることを知り、この機会に訪ねてみた。
国指定史跡 鳴門板野古墳群 大代古墳 一般公開|イベント|鳴門市うずしお観光協会
墳丘は鳴門ICのそば、高速道路の真上に残されている。
インターを降りてすぐの指定駐車場に停めて歩き始めると、丘の上に古墳が見えてきた。
ズームすると見学者が。
高速沿いに進むと受付テント。
テントの先に墳丘も。
最初のテントで体温測定した後に、トンネル脇の2つ目のテントへ。地元中学生による古墳解説がありました。
後円部墳頂から出土した石棺のレプリカ。
仲良さそうな女子3人が代わる代わる説明。
立体模型もありました。
後円部の蓋を開けると竪穴式石室が。
築造当初の姿も。
出土した埴輪片。
線刻が明瞭に残る盾形埴輪片。
復元図。下図は上から見たところ(円筒埴輪に付いてます)
家形埴輪片。
藁葺き屋根の斜面、右辺が頂部。
縦横の線で市松模様になっているのが気になりました。
円筒埴輪、囲形埴輪、蓋形埴輪のかけら。
上記の埴輪の出土地点。
常設の説明板もありました。
国指定史跡 鳴門板野古墳群
大代(おおしろ)古墳
平成28年(2016)10月3日指定
鳴門板野古墳群とは
鳴門板野古墳群は、鳴門市から板野町にかけての阿讃山脈の麓に築かれた、弥生時代終末期から古墳時代前期(3世紀初頭~4世紀末)の古墳の総称です。弥生時代終末期には、石を積み上げた墳丘をもつ積石塚を造りますが、古墳時代前期になると土を盛り上げた古墳を造るようになります。また、亡くなった有力者を埋葬する竪穴式石室の構造や、銅鏡・鉄器などの副葬品、古墳の表面に並べられた埴輪の特徴は、当時の政治的な中心地域であった機内地域との強い関係があったことを示しています。こうした特徴を備える鳴門板野古墳群は、四国東部を代表する古墳群の一つであり、当時の社会を知ることができる重要な遺跡として評価されています。
大代古墳について
大代古墳は、標高43mの南北方向の尾根上に築かれた全長54m・後円部東西径45m・前方部の長さ23mの前方後円墳です。発掘調査によって、後円部の頂上から結晶片岩を使った竪穴式石室が見つかり、内部には香川県さぬき市火山で産出する白色凝灰岩で作られた刳り抜き式の舟形石棺が置かれていました。石棺の蓋は盗掘により失われていますが、石棺の内外から獣形鏡片や玉類、銅や鉄の矢じり、鉄剣や短甲(鎧)などの武具、鉄製の斧や鑿といった工具など、豊富な副葬品が見つかりました。また、墳丘からは埴輪(円筒・家形・盾形・靫形)が出土しています。大代古墳は、古墳時代前期末(4世紀末)の築造とみられ、鳴門海峡一帯を支配していた有力者の墓であると考えられます。なお、大代古墳の北に2号墳(直径22m)、南に3号墳(直径15m)の2つの円墳があります。
鳴門市教育委員会
普段は閉まっているゲートから急な階段を登ります。
柵の手前から、テントと高速道路。
墳丘に到達!
つづく。