2020年10月の中旬、Go to キャンペーンを利用して、京都に家族旅行をしました。
最初に京都の少し先まで足を延ばして、大阪府茨木市の太田茶臼山(おおだちゃうすやま)古墳へ。
住宅地の中にある拝所入口。
そこから振り返って。新築の町の雰囲気。
きれいに整えられた小径を進んでいくと、前方部先端の中心を向いた拝所があった。
パノラマで。 前方部幅で148mもあるので収まりきらず。
玉垣を斜め前から。
墳丘は原生林の雰囲気。
前方部左裾側から。
ズームで。奥に後円部の裾が張り出している。
近くの公民館にあった解説板。
太田茶臼山古墳(継体天皇陵)
古墳は、北から南に延びる低い台地上に築かれた堂々たる前方後円墳です。
その規模は、全長226m・前方部幅147m・前方部高19.8m、後円部径138m・後円部高19.2mで、前方部と後円部の接するところに、両側とも造り出しが設けられています。また古墳の周囲には、幅約28m~33mの一重の濠がめぐっており、その様式から5世紀に築造されたものと考えられています。
昭和63年7月、古墳の西南部(前方部側)の外堤において、茨木市教育委員会が発掘調査を行ったところ、数個の円筒埴輪が並んだ状態で発見されました。
また昭和47年8月、大阪府教育委員会が発掘調査した古墳の西北部(後円部側)においても、同様の円筒埴輪が発見されています。
この古墳は「継体天皇三島藍野陵」とも呼ばれ、宮内庁による第26代継体天皇陵とされています。しかし「日本書紀」によると、継体天皇の没年は西暦531年(6世紀)とされ、古墳の築造年代とは異なるものです。
茨木市教育委員会
全長226mは、全国で20位前後の大きな古墳(前方後円墳)
継体天皇陵はここから1.5㎞北東にある今城塚古墳であることが定説となっている。
それでは、こんな立派な古墳の被葬者は誰なのか。とても気になるところ。
周囲は住宅に囲まれているが、前方部の東側で金網越しに墳丘を眺められる場所があった。
前方部先端側。
ズームすると先ほどの拝所。
後円部側。