宝来山(ほうらいさん)古墳は唐招提寺の北西に近接(200m程)して、その美しい姿を保っています。
東に400m程に秋篠川が流れ、その上流(北)2㎞に佐紀古墳群の西支群があって、この宝来山古墳を佐紀古墳群の南支群とする考え方もあります。
宮内庁が垂仁天皇陵として管理する陵墓で、前方部右裾側に拝所への入口が。
水を湛えた広い周濠の南東側は、後世に拡張されているようです。
周濠の中にも陪塚が。
きれいに整備されている拝所への小径。
拝所までの左側にもため池がありますが、周濠のほうが水面が高いのがわかります。
手前側が前方部右裾、奥が後円部。
奈良県立図書情報館のサイトによれば、宝来山古墳は墳長227m、後円部径123m・高さ17.3m、前方部幅118m・高さ15.6mで墳丘は三段築成、築造時期は4世紀末~5世紀初頭。
江戸時代末の嘉永年間(1848~54)に盗掘に遭っており、その際の記録で埋葬施設は竪穴式石室に長持形石棺と推定されているそうです。
周囲に6基の陪塚があるとされるが、古墳でないものも含まれている、とのこと。
垂仁天皇陵(宝来山古墳)(すいにんてんのうりょう/ほうらいやまこふん)
拝所にて参拝。
西側には近鉄橿原線。車窓からもよく見える墳丘です。
拝所から南西側に、は号陪塚。
拝所を出て墳丘の東側を進んで行くと、周濠沿いの小径がありました。
くびれ部あたりを眺めます。
後円部のそばまで来て振り返って。
例年よりは気温が上がらない時期でしたが、あちこちに蚊柱(?)が立っていて、刺されはしないもののまとわりつかれて難儀しました。
後円部を回って西側を。
満々と水を湛える周濠の向こうに家並みが。ため池の機能は築造当初からではなく、中世に改変されたもののようです。
宝来山古墳は、まりこふんさんの「奈良の古墳」で冒頭に紹介されている古墳です。2015年に購入し、その写真に魅了されてから9年も経っていました…
後円部北側の直線道路(三条大路)を東に行って、尼ヶ辻駅へ。
駅のベンチでしばし休憩。
2024年3月中旬訪問