墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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松永記念館 長崎県壱岐市石田町印通寺浦

「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門(1875~1971)が壱岐生まれであったことは、今回この島に来て初めて知った。

印通寺港近くの生家の跡に記念館があると、壱岐観光ナビにあったので行ってみた。

https://www.ikikankou.com/spot/10109 

 

松永記念館は壱岐市の施設で入場料は100円。電話で開館を確認して訪ねた。

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まず目を惹くのは、こちらの市電。 

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昭和23年から昭和54年まで、福岡市で活躍していた車両。 松永安左エ門は明治42年に福岡の市電(福博電気軌道)の設立に関わり(当時35歳)、その後に電力会社を合併して「電力王」への道を築いていった。

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行先表示は「天神廻り」

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市電の向かい側に記念館がある。

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エントランスの展示。

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松永安左エ門は1956年に「産業計画会議」というシンクタンクを発足させ、経済産業面での国家的政策課題についての提言を行い、実際の政策に大きな影響を与えたそうだ。

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「東京湾に横断堤を」「新東京国際空港」「専売制度の廃止」「減価償却制度の改善」「原子力政策」「国鉄は日本輸送公社に」「水問題の危機」「高速自動車道路について」「北海道開発」など、国土開発の全分野をカバーしている印象だった。

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生前愛用した所持品や文書など。

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迫力のある写真。迫力は本人の力か。 

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勲一等瑞宝章も展示。 ご本人は受勲に否定的で勲章授与式を欠席した、とwikipediaにありました。

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戒名も要らぬ、とした遺言書。 

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生家も一部復元されていた。

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内部の様子。 

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小田原市にも松永記念館があるので、訪ねてみたい。