前回の稲荷塚古墳から400mほど南東に、同じ側ヵ谷戸(そばがやと)古墳群に属する山王山古墳と上之稲荷古墳がある。
まずは、慈寶院の境内に印がある山王山古墳へ。
慈寶院の本堂に一礼。
入口に地元ロータリークラブが寄贈したお寺の由緒説明が。
5行目の末あたりから古墳について言及されていた。
周辺の鴨川左岸の台地上には、7世紀頃に構築された側ヵ谷戸(そばがやと)古墳群(市指定史跡。境内には山王山古墳の石室が露出して所在)が連なっており、早くから開発された地域であることがわかります。
墓地にいらしたお寺の方に挨拶をして古墳について伺うと、位置を教えていただいたが、個人のお墓が写るので写真は控えていただきたいとのことだった。
墓地の中に立つ松の下、2m四方ほどの平地に石室石材の一部が地面から顔を出していた。隣には「大宮市指定史跡」の標柱も。
こちらのさいたま市のサイトに写真がある。
https://www.city.saitama.jp/004/005/006/001/005/001/003/p010489.html
墳丘が削られているが円墳と考えられ、昭和9年の調査で石室内から勾玉やガラス玉などの副葬品が出土したといわれているそうだ。
墓地を出て、すぐ南の路地に入ると正面に土盛りが見えた。
ブロック塀と植木で囲まれている。
南側に回ると祠への参道があった。
標柱も完備。大宮市指定文化財史跡 側ヵ谷戸古墳群(上之稲荷古墳・かみのいなりこふん)と記される。
さいたま市のサイトによれば、現在は変形を受けているが直径20m・高さ2mの円墳で、採集された円筒埴輪の小破片から6世紀後半の築造と考えられているそうだ。
https://www.city.saitama.jp/004/005/006/001/005/001/003/p010490.html
墳頂のお稲荷様。
振り返った参道。
お稲荷さんがあったことで残ったのかも。
次の古墳は400mほど南。住宅街の道に、微かな高低差が反映されていた。