墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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オクマン山古墳(移築復元) 群馬県太田市城西町

この日の最後に訪ねたオクマン山古墳は鶴山古墳の1.5㎞南の立地。

 

田んぼを突っ切る蛇川に架かる橋から南西側。

 

振り返った北東側。

 

北西側、赤城山の方向。

 

南東側。

 

周囲360度、田んぼの中を南西に歩く。真夏の徒歩は避けたいルート。

 

目指す方向に土盛りが(写真中央に小さく)

 

近寄ると墳丘ではなく、太田市こども館の公園施設だった。古墳への親しみやすさの醸成が企図されている?

 

グーグルマップを頼りつつ、閑静な住宅街を進む。

 

池のある公園に墳丘が。

 

詳しい説明板も。

オクマン山古墳(新野脇屋遺跡群)
所在地:太田市城西町
蛇川親水公園を含むこの地域には、古墳や住居跡からなる新野脇屋遺跡群がありました。その中で代表的なオクマン山古墳は、この公園から西に約200mの場所にあった円墳です。古墳が造られた時期は、埴輪の特徴などから、古運時代後期にあたる6世紀後半と考えられます。

古墳の発掘調査は、新野脇屋住宅団地造成に伴う調査を含め、これまで計3回行われました。
墳丘は直径約35m、高さ3m弱で、3段に造られていたと考えられます。この古墳から鷹匠、飾り馬のほか、家・太刀・楯などの形象埴輪が出土しています。埴輪の配列は下図のようになっていました。
※城西町は平成14年(2002)5月1日に新野町、脇屋町の各一部が分離独立してできました。

・鷹匠埴輪(市重要文化財 昭和51年11月16日指定)
この埴輪は左腕に鷹を止め、帽子や大帯を身に着け正装した身分の高い人物(鷹匠)を表しており、大きささは、高さ147㎝です。当時の鷹狩りの様子と、鷹狩りが支配者層により行われていたことがわかります。

・飾り馬埴輪(市重要文化財 昭和52年3月29日指定)
この埴輪は轡や鞍で飾られた馬を表しており、大きさは高さ115㎝、横幅110㎝と極めて大型です。当時、馬は大陸から日本に伝来したばかりで、貴重な存在でした。この資料は馬が人々により大切にされていたことを物語っています。
平成29年(2017)3月15日 問い合わせ:太田市教育委員会

 

右下地図のアップ。移築された墳丘で、元の場所は200m西だった。

 

検索すると太田市教育委員会が作成したとても詳しいパンフ「オクマン山古墳」に行き当たった。見事な埴輪が出土している。

https://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/kankoubutu/files/okuman.pdf

 

鷹匠埴輪は薮塚町立歴史民俗資料館にて、精巧なレプリカを見た。

 

来る7月13日から9月1日まで群馬県立歴史博物館で開催される「集まれ!ぐんまのはにわたち」展にも、鷹匠埴輪が出展されるようだ。これは行かないと。

 http://grekisi.pref.gunma.jp/kikaku.html

 

移築された墳丘の階段を上がる。

 

墳頂には大きな石が。

 

墳頂から東側の眺め。

 

公園の外に出て、オクマン山古墳があった方向を。

群馬県古墳総覧(2017)を見ると、かつてこの住宅地にはオクマン山古墳の他にも30基ほどの円墳・方墳が群集していたことが記されていた。 

 

振り返っての公園入口。