たまたま8月29日、堺市のハニワ課長が部長に昇進したとのニュースを目にしました。謹んでお祝い申し上げます。
https://www.asahi.com/articles/ASM8X4V24M8XPPTB009.html
”部長”の姿は埼玉県熊谷市の野原古墳出土の「踊る人々」をもとにしているようですが、埴輪としては結構特殊な例にように思われます。
古墳に興味を持つようになって埴輪にも惹かれるようになりましたが、”ゆるカワ”や”ヘタうま”なものもあればリアルで繊細なものもあったりと、その多様性に魅力を感じるこの頃です。
8月中旬、6年ぶりに群馬県立歴史博物館を訪ねました。はにわの特別展を見に。(写真多めです、50枚以上)
開館40周年を記念する特別展「集まれ!ぐんまのはにわたち」
群馬県は埴輪県だった。
静かな熱狂につつまれる企画展示室。一部を除いて撮影可となっていた。
これだけの埴輪が並ぶと実に壮観。
はいってすぐのガラスケースには、 高林西原古墳群(6世紀前半)出土の「人が乗る裸馬」高さ70.4cm
馬具をつけない裸馬に、ちょこんと乗る人。
背中に小さなリュックを背負っている。説明カードには靫(ゆぎ:矢筒)と書かれていた。
切れ長の目(?)の凛々しいお顔。
こちらも「人が乗る馬形埴輪」高さ112.6cm。伊勢崎市の雷電神社跡古墳(6世紀後半)出土。盛装の人物が馬に乗る埴輪は非常に珍しいそう。
美豆良(みずら)や籠手、馬具の飾りなども細かく表現されていた。
こちらは玉村町のオトカ塚遺跡から出土した馬形埴輪。
平成3年、宅地造成に伴う調査で埴輪片13個が出たが、復元高さはおよそ140㎝と日本最大級と分かったそうだ。
失礼して、人との比較。
尻尾の方から。
他にも並ぶ馬形埴輪。
馬は、日本列島へは古墳時代中期に朝鮮半島経由でもたらされたが、それまでの輸送・労働・戦いのありようを激変させた最新技術だった。
古代の群馬は県名が示すとおり馬の飼育が盛んな地域であり、その生産力で力をつけた豪族たちが多くの古墳を築き、東日本最大の古墳も出現した。
それらの古墳には埴輪も多く据えられた。
購入した図録の解説によれば、群馬県の古墳から検出された埴輪は1500個以上、おそらくは2000個にのぼると推定されるそうで、国内で重要文化財に指定された埴輪もその4割が群馬県出土になるそうだ。
それらの埴輪には人物や動物、建物や器物を表す形象埴輪も多くみられるが、本展では上記のような馬に乗る人物や、馬形埴輪の表現の豊かさに目を奪われた。
パネル解説「すごいぞ、馬のはにわ」
群馬県での馬形埴輪出土数は全国でも圧倒的に多い。右のグラフは縦軸が高さ、横軸が長さで両軸とも最大値は150㎝。
伊勢崎市の蛇塚古墳(6世紀後半)から出土した馬形4体のうちのひとつ。高さは136㎝。
こちらは前橋市粕川町の白藤P-6号墳(6世紀前半)のもの。
高さは60㎝ほどだが、馬具や飾りものが細かくリアルに表現されている。
こちらは、群馬で馬形埴輪が登場する5世紀後半に遡るもので、同じく前橋市の、白藤V-4号墳の出土。
頭部の目が、本来の側面ではなく前面についているのが古い時代の特徴で「ヒラメ馬」と呼ばれるそうだ。
「ぐんまちゃん埴輪」との愛称もあり、昨年群馬県で実施した「群馬HANI-1(はにわん)グランプリ」で2位を獲得している。
https://www.pref.gunma.jp/03/c42g_00067.html
上記で堂々1位を獲得した「笑う埴輪」も展示されていた。
藤岡市の下毛田遺跡(しもたいせき:6世紀)から農道工事で出土したもの。両手など失われた部分が多いが馬を引く人物または踊る人物の可能性があるそうだ。高さ72cm。
見ているこちらも笑顔になってしまう。
そしてもちろん、挂甲武人もあった。
こちらは伊勢崎市安堀町出土と伝わるもの(6世紀後半)
衝角付冑と小札甲をまとって武装しているが、東博の挂甲武人と極めてよく似ていて同じグループの工人の手による可能性が高いとされているそう。
上野の東博に所蔵される国宝・挂甲の武人(6世紀)も、群馬県出土(太田市飯塚町)
兵馬俑と同時に見た。
今回展示されていた高塚古墳(北群馬郡榛東ムラ大字新井)出土の挂甲武人は、6世紀前半のもの。
衝角付冑と小札甲(こざねよろい)を身に着け、大刀をまさに抜こうとしている姿だが、上記の国宝・挂甲武人より古い時期になるそう。
奈良国立博物館が所蔵する「盛装男子」の”里帰り展示”もあった。
群馬県出土と伝えられるもので、東日本では初公開となるそう。
着物模様や器物が細かく表現される。
結構カラフルなズボン。
ズボンの結び目(脚結:あゆい)には沢山の鈴。
太田市脇屋町のオクマン山古墳(6世紀後半)から出土した「鷹を操る男子」も!
少し前に現地(近く)へ行ったばかりだったので、実物が見られてうれしかった。
小鳥のように愛らしいが、鷹。
人物埴輪では、太田市の世良田諏訪下30号古墳(6世紀前半)の群像も。
左から「琴を弾く男子」「王冠を被る男子」「巫女」で、馬引きと飾り馬も並んで出土したそう。ザ・王冠という形が面白かった。
太田市鶴舞町の塚廻り古墳群出土の人物埴輪も!
最近現地を訪ねてレプリカも見ていたので感慨深かった。
現物を見ると、作りての”上手さ”に感動した。
「ひざまづく男子」は、塚廻り4号墳(6世紀前半)のもので、椅子に座る男子と対面した位置にあって、主人に仕える従者と考えられるとのこと。
振り分け髪、下げ美豆良(みずら)、籠手、鈴付きの腕輪、大刀 などの表現や全体のバランスは、現代の作家が作ったといっても信じられるような出来栄えでは。
こちらは塚廻り3号墳(6世紀前半)の「椅子に座る女子」
衣装も文様や色がよく残る。腰に鈴鏡、勾玉を含む二重の首飾りを着け、手・足にも玉飾りがあって、神まつりにのぞむ巫女を表現したと考えられるそうだ。
こちらも塚廻り4号墳(6世紀前半)で、前方部西側前面付近で見つかった女子の埴輪群の一体だが、右手に大刀を持っている。
鼻が高く凛々しいお顔。解説には、女子群には他に坏を捧げ持つ女子も2体含まれていて儀礼にのぞむ女子たちを表現していたようだとあった。
ほかにも様々な女子埴輪があった。
館林市の淵ノ上古墳(6世紀後半)の「両手を胸にあてる女子」
高崎市吉井町の神保下條2号古墳(6世紀後半)の女子埴輪。
上記の埴輪が出土した神保下條2号古墳は、復元ジオラマもあった。
前橋市西大室町の伊勢山遺跡4号古墳(6世紀後半)出土の女子埴輪。
解説には「顔の大きさがユニーク」とも…
渋川市の坂下町古墳の「双耳杯を捧げ持つ女子」は5世紀後半・人物埴輪出現期に遡る貴重な例。器に食べ物などを盛りつけ神まつりの儀式にのぞむ姿と考えられるそう。
おへそを強調した「力士」 も。富岡市の芝宮79号墳(6世紀後半)
動物を表したものは、馬以外にもいろいろある。
リアルな姿の鶏形埴輪は重文指定。伊勢崎市の剛志天神山古墳(5世紀後半)出土。
鮎をくわえた鵜形埴輪は保渡田八幡塚古墳(5世紀後半) 展示物はレプリカ。
高崎市箕郷町の太子塚古墳(5世紀末~6世紀初頭)の鹿形埴輪。
矢が刺さって血が流れている様子が表現されている。
一見すると馬や鹿とも似ているが、左は犬で、右はイノシシ。どちらも保渡田Ⅶ遺跡1号墳(6世紀前半)
小像のついた円筒埴輪も。前橋市西大室町の後二子古墳(6世紀後半)出土。
上は猿の親子、下は犬と推測されるそう。
円筒埴輪には線刻人面のあるものも。
同じく西大室町の中二子古墳(6世紀前半)
頬の線は入れ墨と考えられ、この表現は弥生時代の土器の例と類似するそうだ。
玉村町の下郷天神塚古墳(4世紀前半)の器台形埴輪にも線刻人面があった。
一緒に並んでいるのは左に前橋天神山古墳(4世紀前半)の壺形土器、右に太田市の富沢24号墳の円筒埴輪。
藤岡市の七輿山古墳(6世紀前半)出土の、突帯が7本めぐる群馬県最大の円筒埴輪(右端)も展示されていた。
こちらは展示品が出土した古墳や遺跡の位置を示す地図。
非常に充実した展覧会でした。本日、9月1日まで開催されています(エントリ遅れてすみません)