墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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逆井の富士塚(平井浅間神社) 東京都江戸川区平井

亀戸浅間神社を参拝後、北に600mほどの位置する別の富士塚を訪ねた。

旧中川に沿って上流方向へ向かい、京葉道路の橋を渡って江東区から江戸川区へ。

堤は土の道だった。

 

堤を降りて、川に沿った道を北西へ。錆びの見事な工場建物があった。 

 

壁は新たなトタンで補修された部分もあった。看板はしばらく補修されていない雰囲気だった。

 

鉄工所と道を挟んだ向かいにはセメント工場。

 

ミキサー車の行き交う活気ある工場だった。

 

その斜め向かいにある平井白髭神社。

 

その斜め向かいに、逆井の富士塚があった。麓は駐車場。

 

江戸川区のサイトによれば、さきほどの白髭神社の「持社」とある。

 https://www.city.edogawa.tokyo.jp/e_bunkazai/bunkazai/touroku_bunkazai/030.html

 

現地説明板。江戸川区内で最古の富士塚だがが、明治期になってからのもの。

逆井の富士塚
昭和57年(1982)2月登録
区 登録有形民俗文化財・民俗資料
高さ約5m、区内で最大のものです。建造年代は不明ですが、「当山再築小松川村」と記した明治17年の碑がありますので、区内で最も古い築造です。
登山道は、塚の正面に直線で設けられ、石段になっています。頂上の部分を玉垣で方形にとり囲み、石祠を祀っています。登山道の両側には、数多くの石碑が建てられ、地元の丸岩講のもののほか、小松川山元講や平井丸富講の碑もあります。
この逆井戸の富士塚そのものが浅間神社です。旧逆井村の人々が、今でもその維持にあたっています。7月1日に幟を立てて祭礼を行います。
石積み型の大型なもので、倒壊防止のため、昭和30年代にコンクリートで覆いました。昭和53年3月設置 平成17年11月改訂 江戸川区教育委員会

 

斜面には所狭しと講碑が並ぶ。

 

整備された階段の上に祠がある。

 

玉垣で囲まれた山頂の祠に参拝。

後ろには旧中川の堤がある。川向こうは江東区亀戸のマンション、こちら側は江戸川区平井、旧逆井村。

 

江戸川区平井とその南の江戸川区小松川は、旧中川と荒川に挟まれた「変形ハート形」の区域になる。その他の江戸川区は荒川の東側になる。

現在地は地図のほぼ中央、総武本線が旧中川を渡る橋の少し右になる。

 

同じ位置の明治初期の地図。

現在の荒川(放水路)開削事業は大正2年(1913)から昭和5年(1930)まで17年を要した巨大プロジェクトだった。大正期からの工事なので明治初期の地図にはない(逆井の富士塚もまだないが)

 

大スケールの計画・難工事の様子は、赤羽の荒川知水資料館で知った。

massneko.hatenablog.com

 

 

富士塚の上から足元を覗き込むと、ぎりぎりまで駐車場。斜面は「まばらな葺石」の雰囲気。

 

登ってきた石段。

 

北東方向にスカイツリーが見えた。隣の建物はマップには柳島製薬とあった。

http://www.j-shiyaku.or.jp/Company/Detail/119

 

塚から降りて北側から。

 

こちらの方のブログで、江戸川区には都内23区最多の16基の富士塚が残されていると知った。

ブログ上にある江戸川区郷土資料館の方の話を孫引きするとその理由は「富士講が多かったこと、川が多くあり舟運を利用して富士山の溶岩(ボク石)が運び易かったこと、戦災の被害が少なかったこと等が考えられる」そうだ。

http://shonan-fujisawa.jp/newpage4562.html

前出の江戸川区のサイトにも、江戸川区の登録文化財として計10基の富士塚の解説が載っている。