前回のつづき。
新潟市内での会議の後、時間が空いたので半日休暇をいただいて古墳を訪ねた。
一つ目は、城の山(じょうのやま)古墳。
昨年秋に、日本海側最北と発表されたの前方後円墳。
以下は2014年11月12日の記事。
従来は円墳(39m)とされていた城の山古墳(4世紀前半)に、新たに前方部が確認された。(これまで50km南の菖蒲塚古墳が、前方後円墳の日本海側北限とされていた)
新潟駅からJR白新線村上駅行きの電車に乗る。
目的地の中条(なかじょう)駅まで50分ほど。雪山が近くなる。
クーラーでなく扇風機(今は停止中)
中条駅で降りて電車を見送る。
駅前の様子。タクシー乗り場があってよかった。
タクシーで6分。
運転手さんによれば余り訪ねる人はいないとのこと。少し待ってもらった。
立派な説明板。
城の山古墳(異称:大塚山・一籠山ひとかごやま)
城の山古墳は、日本海沿岸最北の前期古墳で4世紀前半代の円墳と考えられます。阿賀野川以北では唯一の現存古墳で、東西40.7×南北34m以上の楕円形を呈し、県内3番目の大きさを誇ります。2012年までに6次にわたる調査が実施されました。現在のところ周溝は確認されていません。
埋葬部分は、粘土槨を意識したつくりで、10.5m長×5.3m幅(最大)の方形墓坑の中に北から50°東の主軸をもつ北東ー南西方位に木棺を納めていました。棺規模は最大幅1.6m、長さ8.2mを測る非常に巨大なものでした。北東の幅が広くなることや副葬品配置から北東頭位の刳抜式木棺と考えられます。
副葬品は、非常に豊富で、舶載盤龍鏡・翡翠製勾玉・石製管玉・ガラス製小玉といった装身具類、剣・大刀・弓矢(銅鏃)・靫といった武器類、鉇(やりがんな)・鉄斧・刀子といった工具類がセットで出土しており、近畿との強い関連性がうかがわれます。多くのものが列島最北の出土品です。特に靫の遺存状況は良好で、3点がまとめて納められるという他に例を見ない豪華さでした。また多くの品々が絹に包まれて納められていたことが判明しています。
なお、破砕された土器が多数棺上から出土しており、棺を埋めるに際して埋葬儀礼が行われたと考えられます。
古墳の立地は、阿賀野川水系の最北端に位置し、北の世界との境界に位置しています。このように北方と西方の文化がちょうどぶつかる地点に位置する城の山古墳は、重要な日本歴史の証人として1700年の時を経て現在に残されてきました。今後も郷土の貴重な宝として守り続けていかねばなりません。
平成25年市指定史跡 胎内市教育委員会
説明板の脇に登り跡がついていた。墳丘の高さは5mほど。
まずは周囲を一回り。前方部がつづいていた南側。
南側に田が広がる。平地の真ん中にあって、山々を望める。
ズームすると背後の山は真っ白だった。運転手さんに聞いたら飯豊山とのこと。
南西方向の遠望。
古墳北裾から西サイド。
墳丘に上がらせていただく。平坦面がわりと広い。
塚には「正一位○○大明神」とあった。
木々を向こうに雪山。
墳丘上に三角点があった。
中条駅の待合室に置かれていたパンフレット。
こちらは平成27年2月10日作成の最新版だった。
写真の豊富な、わかりやすいパンフでした。以下に一部転載。
(前略)
新潟県内には約600の古墳があり、このうち城の山古墳と同じ古墳時代前期の古墳は30基ほどあります。
(中略)
城の山古墳は、2014年に行った第8次調査の結果、実は方形部分が南側につく前方後円墳の可能性が高いことが判明しました。この結果、後円部径約39m、全長60m強の古墳となり、新潟県内最大、日本海側沿岸最北の前方後円墳であることがわかりました。
また、2012年の第6次調査では、埋葬部分の調査を実施し、素晴らしい副葬品の数々が発見されました。
専門的な指導者のもと大勢の人々が古墳造りに参加しました。下の方は水を通しにくいシルト質土ブロック主体、上の方は通水性の高い砂質土を用いた水平積みで築造されており、濃尾平野北部の影響が考えられています。
(中略)
ここ新潟県胎内市は当時勢力を伸ばしていたヤマト政権と、ヤマト政権に属さない北の勢力の境界に位置していたため、城の山古墳に埋葬されたリーダーはヤマト政権にとって、とても重要な人物でした。副葬品のセットがヤマト政権中心地の古墳と同じ素晴らしい内容であることがそれを物語っています。
南側からの墳丘で最後の一枚。非常に充実したひととき(10分ぐらいでしたが)を過ごせた。
再び乗って中条駅に戻った(往復で2480円)
タクシーの運転手さん(若い女性の方でした)は村上出身で、「次回は村上までぜひ」と勧められた。前に読んだ本で村上のことが魅力的に取り上げられていたことを話そうと思ったが、安西水丸の名が思い出せなかった。
さらに、運転手さんに、村上のなんとかいう地元のお菓子がおいしいと勧められたが、この名もド忘れしてしまった。
もっとスマホを活用しないと(検索・メモ機能)
中条駅前からの眺め。
駅前広場に、板額御前(はんがくごぜん)という勇婦の像があった。鎌倉初期に地元で生まれた弓の名手で、地元の豪族「城 資盛(じょうすけもり)」の姨母。1201年鳥坂城の戦いで捕えられ、鎌倉で源頼家の前に引き出されるが、そこで甲斐の浅利与一義成に見初められて嫁ぎ、甲斐国で暮らした、とのこと。
駅の待合室には地元銘菓もいろいろ売っていた。手書きのおすすめに誘われて思わず買ってしまった。
車中で食べたシフォンとヨーグルトも美味でした。
中条駅には貨物ヤードもあった。緑のコンテナも。
帰りは特急いなほ8号に乗った。新潟駅まで30分弱。
途中、新発田駅停車時に窓から見た「あけぼの 1号車B寝台」の表示板。すでに廃止されたはず?
上野から青森に行くのにここを通っていたのかと、ちょっと驚いた。
※追記(2015/9) 城の山古墳は胎内市教育委員会により円墳と訂正されました。