墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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茶すり山古墳 兵庫県朝来市和田山町筒江

筒江城ヤブ1号墳の次は、茶すり山古墳でした。

 

遠目にも目立つ端正な墳丘。

 

周囲の棚田も美しく。

 

墳裾の解説。

国史跡 茶すり山古墳
茶すり山古墳(和田山町筒江)は、平成13・14年度、平成17年度の発掘調査により、その全貌が明らかになりました。
直径約90m、高さ約18mを測る円墳で、近畿地方で最大の規模を誇ります。古墳の斜面には石が葺かれ、また、古墳頂上につくられた埋葬施設の上やその外周、斜面中ほどにつくられた平坦地(テラス)に、円筒形を中心とした埴輪が規則正しく配置されていました。
茶する山古墳は5世紀前半につくられた古墳で、古墳の頂上につくられた2つの埋葬施設からは、4面の鏡のほか、武器を中心とした豊富な副葬品が見つかりました。このことから茶すり山古墳に葬られた被葬者は、畿内の大王とのつながりを背景に、武力により地域を治めていたと考えられます。朝来市内に存在する池田古墳(和田山町平野)や船宮古墳(桑市)などとともに但馬を治めた王の墓を考えられています。
茶すり山古墳は、平成16年(2004)2月27日に国史跡として指定を受けました。朝来市では平成17年度~21年度に保存整備工事を行い、古墳を復元しました。また、出土した遺物は、朝来市埋蔵文化財センターで展示しています。

 

図の部分を。

 

墳丘へ上がる直前のワクワクタイム。

 

飛行機雲は吉兆(と思い込んでます)

 

テラスを廻る埴輪連。

 

円墳ですが、山側は丘のつづきが。


舞台のような墳頂でした。

 

スマホ広角でも。

 

2つの竪穴式埋葬施設。ひとつはガラスで保護。

 

全長8.5mもあります。鏡のあるほうが頭部でしょうか。

 

ガラスは内側がくもっていましたが、鏡の位置は見えました。

 

振り返っての第2埋葬施設。

 

こちらは埋め戻されています。頭の向きは第1と同じく東北東方向。

 

円筒埴輪と朝顔形の埴輪の列を見ると、即、豪華である、と感じるようになりました。


第1埋葬施設の上には家形埴輪が3棟置かれていたそうです。

埴輪
古墳頂上の外周と斜面中ほどのテラスに置かれていました。埋葬施設を取り囲むように円筒形を中心に朝顔形や壺形などの埴輪が規則正しく並べられています。また、第1埋葬施設が埋め戻された上に、3棟の家形埴輪が置かれていました。そのほかに、斜面中ほどのテラスには、埴輪にまじって木の柱の痕跡が残っていました。どんなものがあったかはわかりません。

 

左が第1、右が第2埋葬施設。どちらも向こうにの谷側に足を向けています。

 

その、谷方向の、素敵な眺め。

1㎞先が和田山ICです。

一応、スマホ広角でも。

 

そこから左に視線をずらして南側の、気持ちの良い眺め。

 

谷戸に入り込む棚田。

 

北側の山塊。背後には円山川支流の与布土川がぐるりと廻っています。

 

墳丘の南東側に降りて。

 

そこから西方向。

 

シートの部分は葺石復元中?

葺石
古墳の斜面はもともと石で覆われていました。これを葺石といいます。山の石を使用しており、その大きさは大小さまざまです。葺石は、斜面中ほどのテラスから上では全面に葺かれていましたが、ほどんどは古墳の下へ落ちてしまっているようです。なお、テラスから下では葺かれていなかったと考えられます。

 

ここのテラス歩きは実に心地良く。

 

下に戻った時には、”学習館”が開館していました。

 

映像で学習して、パネルでも情報取得。

 

自動車道建設に伴う発掘調査で、貴重な古墳であることがわかったそう。

茶すり山古墳はこうして見つかった
茶すり山古墳は、頂上が平らな様子から城跡と考えられていました。その後、現地で埴輪が見つかり、古墳であるとわかったのです。そして、北近畿豊岡自動車道が建設されるにあたって、発掘調査が実施されました。山の頂上に全く荒らされていない2つの棺が見つかり、中からは鏡や鉄製武器・武具を含む大量の品物(副葬品)が発見されました。これらの出土品は、当時日本を治めていたヤマト王権からさずかったものと考えられ、全国的にも貴重な古墳であることがわかり、保存・整備されることになりました。

 

周囲の古墳との関係も興味深く。

古墳時代の朝来と巨大古墳
朝来市で最も古い古墳は、若水古墳です。中国から手に入れた鏡を2面納めていました。その後、三角縁神獣鏡が納められた城ノ山古墳を経て、但馬最大の大きさを持つ池田古墳がつくられます。若水古墳や城ノ山古墳は円墳ですが、池田古墳は日本を治めていた大王の墓と同じ前方後円墳という形です。
その後、朝来市内では茶すり山古墳(円墳)、船宮古墳(前方後円墳)、長塚古墳(前方後円墳)、小丸山古墳(前方後円墳)という、但馬で最も大きな古墳が続けてつくられてきました。このことから、朝来が但馬の中心であった時代が長く続いたといえるのです。

 

と、ここでカメラが壊れてしまいました。

すぐ近くに「朝来市埋蔵文化財センター古代あさご館」があるのですが、そのショックと、帰路の時間も考慮して、次の機会に…

 

今回の茶すり山古墳が2022年春の北近畿墳行の最終回。訪ねた期間は3月11~13日の3日間でしたが、ブログは3月20日エントリの雲部車塚古墳から始めて58回シリーズとなりました。毎日にように写真と記事とで振り返っているので、この3か月近く、同エリアを旅してきたような気分で、とても楽しかったです。

 

このあとは、途中で差し込んだ栃木県の古墳に戻りますが、その前に…