前回の山谷古墳からは、8年前に訪ねた菖蒲塚(あやめづか)古墳へ挨拶をしに。
前回は、JR越後線の巻駅から歩きましたが、今回は車で墳丘の近くまで上がってくることができました(右の斜面の上が基壇面)
国指定史跡、全長53mの前方後円墳です。
後円部裾の様子。
屋根付きの説明板。
解説文は前回エントリを再利用。
国指定史跡 菖蒲塚古墳(あやめづかこふん)
全長53mの前方後円墳。同形の古墳としては新潟県内最大規模をもち、日本海側沿岸部での北限にもあたります。4世紀後半の造営と推定され、角田山麓では山谷古墳(やまやこふん:全長38mの前方後方墳)に続く首長墓とみられます。
発掘調査は行われていませんが、江戸時代に青銅鏡1面、勾玉1点、管玉7点が後円部から出土しました。
鏡は鼉龍鏡(だりゅうきょう)と呼ばれる大型国産鏡で、類似品が中部地方最大の前方後円墳、山梨県「中道銚子塚古墳」や畿内屈指の豪華な副葬品を誇る奈良県「新山古墳」から出土しています。これらはヤマト王権からさずかった第一級の宝器と考えられ、被葬者に備わる信任の高さをうかがわせます。
北西に隣接する径15mの円墳は「隼人塚」と呼ばれています。同じく発掘調査は行われておらず、造営年代や被葬者の性格についても不明です。
西1kmたらずに位置する南赤坂遺跡から、北方系集団の移住を示す4世紀代の土器が1993年に発見されました。当時の蒲原地方は、北に開かれた情報・物資の交換基地をなした可能性が高く、ヤマト勢力最前線の首長が担った重要な役割を推測させます。指定年月日:昭和5年4月26日 所在地:新潟市竹野町 管理者:新潟市教育委員会
後円部裾から左奥へ前方部。
鞍部のあたり。
前回訪ねたのは2015年3月でした。
このとき弥彦山だと思っていたのは多宝山だったですね。
菖蒲塚古墳からは越後平野を東西に横断して古津八幡山古墳へ向かいました。黄金色の平野のドライブはそれはそれは気持ち良かったです。
途中で振り返った弥彦山・多宝山(左)と角田山(右)
越後平野は海側にも山が連なる不思議な地形です。