菖蒲塚古墳から越後平野を横断して古津八幡山古墳群へ向かう中間点あたり、信濃川分流の中ノ口川を渡る直前に、笹川邸というお屋敷があったので立ち寄ってみました。
駐車場脇にあった敷地内地図。思った以上に規模が大きいです。
敷地は約6千坪、邸宅部分だけで340坪!
入口脇の説明板。国指定重要文化財でした。
国指定重要文化財 旧笹川家住宅 笹川邸
旧笹川家住宅は、江戸時代に村上藩三方組八か村を統括した大庄屋・笹川家の住宅です。
周囲に堀をめぐらした広大な敷地の中には、天正年間(16世紀後期)に建てられたと伝わる萱葺きの表門(巽風門・そんぷうもん)、文政2年(1819)の火災後に再建された主屋、6棟の蔵、井戸小屋、外便所などがあります。
主屋は村松の小黒杢右衛門が棟梁となり、居室部は文政4年、表座敷及び台所は同9年に上棟したことが棟札からわかります。
この住宅は、昭和29年(1954)重要文化財の指定を受け、同45年から一般公開されています。
新潟市
表門(巽風門・そんぷうもん)は築500年近く。
門内の詰め所スペース。リアルでした。
門をくぐると、重厚な屋根の主屋。
長野県の笹川村から安土桃山時代にこの味方の地に移住したとして、1970年にこの地を離れるまで14代300年以上にわたって続いた名家になるそうです。
囲炉裏部分も大空間。
鴨居の上が高いです。
六尺棒という武器が。
明るく広い、開放的な縁。
庭も広く。
近代的な曽我・平澤記念館。
銅像もありましたが二人とも地元の旧味方村出身。
曽我量深(そがりょうじん)氏は明治8年生まれの仏教思想家(大谷大学学長)、平澤興(ひらさわこう)氏は明治33年生まれの医学博士で京大総長を務めたそうです。
室内の様子。
展望室からの眺め。
「ふと立ち寄った」のですが、奥深さに圧倒されました。