前回のつづき。
大磯町郷土資料館のある神奈川県立大磯城山公園には、旧吉田茂邸やその庭園も含まれていた。
2つのエリアの間を東海道が通る。箱根駅伝の4区にあたるところ。中央奥が東海道の西方向。左の木立が旧邸宅の敷地になる。
東海道に面した門を入る。
その先の兜門。サンフランシスコ講和条約締結を記念して建てられた門で、「講和条約門」とも呼ばれるそう。
門の外側にはバラ園もあった。
門の向こうには美しい風景があった。
養父が明治期に建てた別荘を、吉田茂は戦後に和風住宅に建て替え、生涯の住まいとした。
没後に西武の大磯プリンスホテル別館を経て、神奈川県の管理下で公園としての一般公開が決まるものの2009年3月に本邸が漏電により全焼、その後県が再建事業をすすめて2017年4月に一般公開となっている。
公式サイトには再建に至る過程が、膨大な会議資料も含め詳しく記されている。再建費用(6億円)の半分ほどは基金と寄付によって賄われたようだ。
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/oisomuseum/kyuyoshidatei/ex/saiken/kikin/1486519774523.html
こちらのサイトには工事費で5.4億、土地取得費17億とあった。
https://www.sumaistar.com/magazine/article/column/sumaistarmagazine/4963
玄関脇から2階を見上げたところ。かつては「吉田御殿」とも呼ばれたそう。
戦後すぐと、昭和30年代に改築・増築されたが、後者は吉田五十八(1894~1974)が設計をした。その新館部分の様式は「近代数寄屋建築」になる。
庭園は県の施設で見学無料だが、建物内は町の施設で有料となっている。玄関を上がって受付で入館料一般500円を支払う。月曜と毎月1日が休館。
11月4日の連休中日だったが混雑はなく、快適に見学できた。
室内の写真は公式サイトにもある。
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/oisomuseum/kyuyoshidatei/ex/teinai.html
入ってすぐに楓の間。そこから2階へ上がる階段。
2階の書斎。
2階には舟形の風呂もあった。
新館の食堂「ローズルーム」
食堂壁のケースには司牡丹。吉田茂は実父の竹内綱ゆかりの土佐の地酒「司牡丹」を好んだとのこと。右の写真は司牡丹酒造の会長・竹内源十郎とのツーショット。
玄関脇から新館2階への階段。低い段差のゆったりした傾斜。
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/oisomuseum/kyuyoshidatei/ex/teinai.html
新館2階の金の間。
その窓から西側の眺め。
ズームするとうっすらと富士山が。
南には水平線。
金の間の隣が寝室の銀の間。
ベッドに横になったまま富士山が見えるように造られていた。
寝室兼書斎で書棚もあった。
1階の外に置かれたいた葉巻型のベンチ。Habanaの文字が見えるが、マッカーサーからすすめられた葉巻を「ハバナ産しか吸いません」と断った逸話を象徴している。
建物内を見た後、南側の散策路も周遊してみた。
敷地の一画に、焼失を免れた七賢堂が建つ。 明治36年に伊藤博文が建てたものを昭和35年に移築。岩倉具視・大久保利通・三条実美・木戸孝允の4人の”元勲”に伊藤博文・西園寺公望・吉田茂が順に合祀されて「七賢堂」
少し上がった、海が見渡せるところに銅像があった。お孫さんはあまり似ていない?
ほんのり彩雲。