前回のつづき。
横穴墓を見学して斜面を下りていくと、木々の向こうに大きな建物が出現。
大磯町郷土資料館は、かつてこここにあった三井家の別荘・城山荘の建物をモチーフとしていた。
ちなみに現在犬山市にある国宝の茶室「如庵」(じょあん:1618年に京都の建仁寺塔頭正伝院に建造)は、昭和13年から45年までこの地に移築されていたとのこと。
郷土資料館は入場無料。受付で申請書に名前等を記入すればエントランスホール以外もほぼ撮影できた。
エントランスホールには、かつて別荘広間の吹き抜け上部を飾っていた彫り物(一部復元)が展示されていた。
唐破風と龍の彫刻が施された欄間は奈良県の龍門寺より、鶴の彫刻は長岳寺、龍の彫刻の束は三重県にあった高宮寺、軒を支える斗栱(ときょう)は大磯町の王福寺から寄贈されたもので、別荘には全国各地の社寺から寄贈された古材が使われていたそうだ。
展示室内には城山荘の骨組み模型もあった。
三井家の総領家・北家(10代当主三井高棟)は、明治30年代から当地城山(じょうやま)に別邸「城山荘」を構えた。
外観はイギリスのチューダー様式、内装は古社寺の古材を用いた本館は、昭和9年(1924)に現在の公園展望台付近に建てられたが、戦後の財閥解体で一帯は三井家の手を離れ、昭和45年(1970)には名古屋鉄道の所有となって建物も解体され、その後に県立公園として整備された。
城山荘を手がけたのは久米設計の創立者・久米権九郎。1923年の関東大震災後に耐震建築を研究していたところへ三井高棟(たかむね)からの依頼が来たそうだ。
12月3日までは企画展示室で「大磯別邸 城山荘-三井高棟が遺したもの-」が開催されている。
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/oisomuseum/kyodoshiryokan/ex/sp_ex/on_view/1508197334676.html
常設展示は古代から近代のさまざまな資料に加え、民俗資料や自然テーマの展示も。
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/oisomuseum/kyodoshiryokan/ex/p_ex.html
廊下に並んだ縄文土器。
剥製と並ぶ弥生土器。
その背後、フロア全体の様子(企画展は別の部屋になる)
展示室の一画に横穴墓の原寸大模型があった。
清水北横穴墓群 第5号墓のレプリカ
岩盤を掘りくぼめて石棺を造りだしている。石棺の外に須恵器などが置かれていた。
横穴墓の多くは後世に開口していて副葬品は失われているがほとんどだが、展示では想定される埋葬時の状態を再現したとのこと。
そこから右に目を移すと、石で閉塞された出入口が。
大磯町域には70以上の横穴墓群が存在し、500基を超える横穴墓が確認されているそうだ。
こちらはそれら横穴墓の一つから発掘された大きな須恵器甕。
「古代道と役所」のマップも興味深かった。古代の道は古墳の立地とも関係が深い。
中世のコーナーでは神像の展示も。大磯には国府が置かれたので古い寺社が多く、鎌倉時代には現在は廃絶した高麗寺や新(真)楽寺が栄え宗教都市としての一面もあったのとのこと。
国府祭や七夕祭などの資料も。
煉瓦関連の資料もあった。
海水浴場開設と鉄道延線をきっかけとして別荘地として繁栄を遂げた大磯では、洋風建築や住宅附帯施設、鉄道施設などに煉瓦が多用されたそうだ。
下段の左は品川白煉瓦、上段の桜の刻印は小菅監獄の煉瓦製造所製か。
資料館見学後、すぐ裏手の、もともと別荘本館が建っていた丘(展望台)へ上がった。
西側は遠くに箱根の山。
目の前に広がる相模湾。
あずま屋は風が抜けて気持ちよかった。
八角形の屋根の上には鶴の像。
あずま屋の近くには三井別邸時代から石の蔵があった。現在はギャラリーとして使われている。
駐車場へ下る道。
つづく。