今回も東京文化財ウィーク2017で紹介されていた建物だが、通常でも公開されている旧前田家本邸の和館。
旧前田家本邸には洋館もあって3年間に訪ねたが、来年9月末まで修復工事中。
3年前は逆に和館が修復中だった。20年以上前に一度来たことがあって再訪になる。
以下は目黒区のサイトの解説を少し端折って。
加賀百万石の前田家の上屋敷の跡は現在赤門を残して東大本郷キャンパスとなっているが、これは明治になって駒場の東大農学部と敷地交換がされたため。
華族令で侯爵となった前田家16代当主・利為(としなり)は駒場の1万坪の敷地に昭和4年に洋館を、昭和5年に和館を相次いで竣工させている。
両館で使用人が100人以上という大邸宅だったが利為は昭和16年に戦死、昭和19年に中島飛行機の本社が疎開してきたが、終戦後は連合軍の幹部の官邸となり昭和32年に接収解除。その後、国~東京都の所有となり現在は目黒区が管理。
http://www.city.meguro.tokyo.jp/gyosei/shokai_rekishi/konnamachi/michi/rekishi/hokubu/kyumaeda.html
玄関から真っ直ぐ進むと畳の大広間が展開する。
開放的な造りで、心地よい風が通り抜けていた。昔ここで庭を眺めていた時は寝落ちしてしまった…
庭園の向こうはまるで森のよう。
文化財ウィーク期間中はガイドツアーがあり、ツアーに参加すると庭園に出ることも出来た。時間の都合で参加できなかったので、庭からの建物の様子は「カード」から。
重要文化財(建造物)
旧前田家本邸(和館)
旧前田家本邸の和館は、洋館に付属する迎賓館として昭和5年(1930)3月に竣工し、設計は、塚本靖(工学博士)と佐々木岩次郎(帝室技芸員)です。
木造2階建の近代和風建築で、洋館の東側に建ち、独立した門構えを持ちます。塀は腰までを割竹打ちとし、門は一間一戸の平唐門(ひらからもん:薬医門形式)です。和館と洋館は裏手では渡廊下で繋がれ、渡廊下の意匠は、中央を境に、洋館側は洋風、和館側は和風となっています。
和館1階は、主室「御客間」と次の間「御次之間」と、合わせて40畳近くなる続き間を中心に、周囲を畳廊下や入側・縁側でぐるりと囲む、特徴的な平面です。「御客間」は伝統的な書院造りで、床・違い棚・付書院を備えた格式の高いものです。廊下を挟み、居間「小座敷」や茶室が配されます。大広間からは、水を配した日本庭園が望め、庭園内には茶室待合もあります。茶室及び茶室待合は、三代目木村清兵衛の設計になるものです。
2階は宝形屋根を載せた楼閣風の外観で2階「御居間」の床構えは、数奇屋風を加味したものとなっています。
「御次之間」から見た「御客間」
間には見事な欄間がある。
かつては、橋本雅邦の四季山水図の襖絵があった。
床の間壁面も雲形金砂子張りであったとのこと。
右奥が付け書院。
付け書院を廊下側から。
通り抜けられるようになっていた(通行は逆周り)
角を曲った先。
長押の釘隠しはハート形「猪目」が組み込まれた意匠。
角の木材はピシッと合っている。ここを訪れる方は「技」のプロでも「材」の目利きでも一様に、その水準の高さに驚かれるのだそう。
板戸には紅白の牡丹と蝶が描かれていた。
格子の先に見えたのは洋館へ連絡する通路。
文化財ウィーク期間中では、大広間の東側の和室でお抹茶を戴くことができた(和菓子がついて200円!)
2階へと続く階段は幅広だった。
※2階は東京文化財ウィークの特別公開期間のみの公開。
途中で折り返して上る。踊り場の扉の先には当初からの洋式トイレが設置されていた。
2階の座敷も非常に気持ちがよかった。
丸く切り取られた風景。
2階の床の間の壁には雲形金砂子が残っていた(右)
白地の天袋・地袋には、かつて狩野探幽の絵が描かれてあったそう。
庭の池の大きな鯉は2階からもよく見えた。
入館無料の素晴らしい施設。
最寄りは駒場東大前駅で、近くには日本民藝館もある。
洋館の修復が完成した折に、また訪ねたいと思います。