前回のつづき。
元麻布の台地の、最も標高が高いあたりには西町インターナショナルスクールがあった。
大正10年築の洋館が現役で使われている。
設計はヴォーリズ。壁の出っ張りは暖炉の煙道か。
英文併記の説明板。
東京都選定歴史的建造物
西町インターナショナルスクール本部館(旧松方正熊邸)
所在地:港区元麻布2-14-7
設計者:ヴォーリズ建築事務所
建築年:大正10年(1921)
明治の元勲松方正義の子息正熊と妻美代子の私邸として建てられ、ここで本スクールの創立者松方種子、駐日アメリカ大使ライシャワー夫人となる春子が育つ。
設計者の米国人ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、1905年YMCAの一員として来日、1908年に建築事務所を開設し、後にメンソレータムとして知られる近江兄弟社を設立した異色の人物である。
この住宅は、1940年代以後各国の公使館、大使館が使用し、1965年からは本校の教室および教職員室として活用され、現在に至っている。
そのスタイルは、米国の諸都市で1890年から1930年までの間に盛んに建てられた郊外住宅に類似する。とくに、東面に大きく張り出したパーゴラ状の庇、それを軸にした左右対称の均衡のとれた外観は、様式や装飾によらない、構成美を備え、出窓をもつ起伏に富んだ大屋根とあいまって、傑出した景観と記念碑性を生み出している。東京都生活文化局
平面プランも載っていた。3階まであった。
2階、3階は庇が結構出ている。
上からの様子はグーグルアースでわかる。すごい時代になった。
内部は非公開だが、中の写真もあるレポートがあった。
Kissポート:港区探訪:レトロ・ニッポンに会える場所 港区近代建築めぐり 第6回 松方ハウス
元麻布ヒルズ・フォレストタワーの足元へも行ってみた。ここも高台。
”東京スリバチ学会”の皆川典久氏が指摘するとおり、東京の傾斜地では低いところはそのまま残り高台には高い建物が建つので高低差がより強調されるという”法則”が当てはまっている。
タワーの隣の道を斜面のほうへ進むと、善福寺の敷地で行き止まりになった。
門の先の眺め。中央奥は田町のNECビル。
尾根上の道を南へ進むと氷川神社があった。
社殿とタワー。
その少し先には蔦に覆われた古い教会があった。
東京都選定歴史的建造物の安藤記念教会堂。こちらも大正期の建物だった。
東京都選定歴史的建造物
日本基督教団 安藤記念教会会堂
所在地:港区元麻布2-14-16
設計者:吉武長一
建築年:大正6年(1917)
この教会堂は、関東大震災前に竣工してその姿を留めている貴重な教会建築である。大谷石(一部小松石)の組積造で、南西の角に出入口の塔屋を設けている。
建物の北と南の壁面には小川三知が製作したステンドグラスが嵌めこまれている。この教会の創立者安藤太郎がハワイ総領事であったことから、皆未満のアーチ窓のステンドグラスには布哇(ハワイ)初回受洗者を記念する文字が日本語と英語で表されている。
東側の窓。
重厚な大谷石。
来年(2017)で築100年!
こちらの方のサイトに内部からのステンドグラスの写真が見られる。
そのまま進むと「仙台坂上」の信号に出たので、東に仙台坂を下った。
せんだいざか
坂の南部一帯が、仙台藩伊達家の下屋敷であったところから、その名に呼ぶことになった。
坂の左側(北側)は複数の建物がなくなって、”駐車場の段々畑”になっていた。
2009年12月時の同じ場所。すごい時代になった。
少し降りて北側に振り向いたところ。
ほぼ同じ場所、これも2009年12月。
坂を下ると右側に厳重警戒の建物があった。
韓国大使館。2013年6月築の新庁舎。
設計は創造建築と環境デザイン研究所、施行はロッテ建設と五洋建設。
途中で左に折れて細道に入る。
善福寺の勅使門(中門)脇に出た。
山門前から麻布十番側。
参道の柳の下には井戸があった。
自然の湧水だった。
善福寺の山門から。タワーは目の前だが大周りしないと到達できない。
門前の商店街には心休まる雰囲気の建物もあった。
※追記:西町インターナショナルスクールの建物には、この数日後にも再訪した。
正面玄関。
このときは通りに面した入口も撮れた。