墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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天理市立黒塚古墳展示館 奈良県天理市柳本町

前回のつづき。

黒塚古墳の目の前にある天理市立黒塚古墳展示館。

黒塚古墳のガイダンス施設として平成14年(2002)に開館した。入場無料。

天理市立黒塚古墳展示館のご案内/天理市ホームページ

 

ここには黒塚古墳の実物大の竪穴式石室と出土した鏡34面の、精巧な復元モデルを見学できる。

まずは石室。

 

参加者からため息が出る。

 

2階に上がって見下ろすことができる。さきほど実際に上った墳頂の地面レベルが2階の足元レベルのようだった。

 

石が木棺付近のみならず、幅広く積まれていたことに驚いた。

 

水銀朱が塗られていた部分。頭の上に置かれていた鏡(画文帯神獣鏡)もその位置に復元されている。

 

大量(33面)の三角縁神獣鏡は棺の外に置かれていた。

 

2階の壁沿いには33面の銅鏡の精巧なレプリカが展示されていた。

 

銅鏡は現代の皇室でも三種の神器のひとつして重視されており、神社でも神の依代としての祭具になっている。以下三種の神器 - Wikipediaより。

三種の神器は、日本神話において、天孫降臨の時に、瓊瓊杵尊が天照大神から授けられたという鏡・玉・剣のこと。また、神話に登場した神器と同一とされる、あるいはそれになぞらえられる、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物のこと。

三種の宝物とは、八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣を指す。皇族はもとより天皇でさえもその実見はなされておらず、多くの面が謎に包まれている。

 

こちらにもわかりやすい解説が。

なぜ神社には鏡があるのですか? | 神職さんに聞きました | 太宰府天満宮

 

銅鏡の中でも三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)は古墳時代前期の古墳の埋葬部から多く出土している。

 

こちらの記事などで議論の渦中にある考古遺物

 

黒塚古墳から出土した銅鏡は、これまでで2番目に多い。

下記は銅鏡 - Wikipediaより。

古墳時代前期の銅鏡の出土例としては、椿井大塚山古墳の36面、奈良県広陵町の新山古墳の34面、黒塚古墳の34面、佐味田宝塚古墳の約30面、大和天神山古墳の23面、大阪羽曳野市の御旅山古墳の22面、紫金山古墳の12面、岡山県備前市の鶴山古墳の30面、備前車塚の13面、愛知県犬山市の東之宮古墳の11面などがある。これは、銅鏡を棺の中に入れて死者と共に埋めるという倭人特有の習俗とみられる。奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳からは銅鏡の破片が多数出土しており、奈良県立橿原考古学研究所が破片を三次元計測したところ、81面分に復元された。

 

 

黒塚古墳出土の三角縁神獣鏡は22~24cm程度。1枚だけ木棺内に納められていた画文帯神獣鏡は13.5cmだった。

展示は複製品だが、この日はガラスケースを開けていただき、目の前で観察することができた。

 

目の前で見させていただいた、そのうちの一枚。復元素材は樹脂とのことだが重さも伝わってくるような精巧さだった。

 

7号鏡とあった。

 

普段は写せない角度から。

 

さらに寄って。複製とは思えない。

 

展示館にあった黒塚古墳のジオラマ。

 

カラー写真入りの12頁の詳細資料(pdf)も公式サイトにリンクされていた。

http://www.city.tenri.nara.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/47/kurozuka_annnai.pdf

 

石舞台古墳では石室の石の大きさに感銘を受けたが、こちらでは石の量(さらに鏡の数)に圧倒された。

ちなみに奇跡的に盗掘を免れたのは、長年の間に地震等で石室が崩れて、大量の石ころの下の遺物が取り出せなかったかららしい。

1997年という最近の調査時まで墳丘の中で眠ったままだった。

現在も石室自体は後円部の下に埋め戻されている。

つづく。