墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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市庭古墳(平城天皇 楊梅陵) 奈良県奈良市佐紀町

平城宮の大極殿から見えていた市庭(いちにわ)古墳。

 

真南から。

本来はこのあたりまで前方部だったであろう全長253mの前方後円墳でしたが、平城宮の造営で壊されてしまったのでした。

 

住宅の間の道を進むと拝所入口。

 

高札には、平城天皇 楊梅陵(へいぜいてんのう やまもものみささぎ)

 

宮内庁のサイトには「円丘」との記載。平城天皇(774~824)は桓武天皇の息子。

-天皇陵-平城天皇 楊梅陵(へいぜいてんのう やまもものみささぎ)

 

「古墳図鑑」によれば、平城宮の発掘調査で削られた前方部が見つかり、本来は後円部径約150m、前方部幅約160mの前方後円墳であることが判明。築造時期は5世紀前半。

平城天皇の時期とは400年程の開きがあります。

 

前方部が残っていたら全国で15位に入る大きさでした。

古墳大きさランキング(日本全国版) 堺市

 

グーグルアースで。

奈良時代の宮殿は、市庭古墳の前方部をはじめとしていくつもの古墳を壊して造営されたそうです。

 

高札前から南を振り返って。左右の植木は平城宮の建物柱の位置を示していたのですね。

 

現在残っている後円部も、こんもりした緑が目を引きます。

 

拝所から参拝。

 

墳丘の西側。周囲のカーブがわかります。

 

東側の裾は家屋の陰。

 

市庭古墳は、さきほどの「古墳図鑑」によれば、墳丘に葺石を、両側面に造り出しを、そして二重の周濠を持っていたとのこと。佐紀古墳群ではそれまで墳丘の周りをなぞっていた周濠の形(宝来山古墳や五社神古墳など)が、この市庭古墳の段階で「盾形」に変わったそうです。

 

拝所から振り返って。

 

墳丘を東側の住宅地越しに。

 

北側から。

 

さらに北側から。北からのなだらかな斜面に築かれていることが感じられました。

2024年5月中旬訪問