cofuniaに宿泊した次の日は、すぐ近くの西殿塚・東殿塚を見学。
前日に、西山塚古墳の墳頂から見えていた西殿塚古墳の雄姿。

翌朝の西山塚古墳(左が後円部)と、その裾に建つcofunia。

そこから70mほど南東にて西殿塚古墳を。左が後円部、右奥へ前方部。全長が230mもある墳丘です。

集落の道を東へ上がります。

その先、右手に西殿塚古墳の後円部先端側。

振り返った西方向。

ズームで。奈良盆地対岸の二上山が望めました。

さらに上がって右手(南)方向。右が西殿塚、左が東殿塚で後円部を北に仲良く並んでいます。3世紀の後半という早い時期に、西が先行し連続して築かれた古墳とのこと。

東殿塚古墳の後円部、左奥へ前方部。

東殿塚の後円部先端側。

東殿塚古墳の東側の農道。左の溜池は周溝の名残でしょうか。

東殿塚古墳の東側くびれ部。

そこから南に伸びる前方部。このあたりは柿の果樹園のようです。

途中から、みかん畑に。

その先で、東殿塚古墳の前方部先端へ上がる路が。

前方部墳頂先端から後円部方向を。現状は、のっぺり広い感じでした。

前方部の裾あたりから南方向。中央奥は行燈山古墳と黒塚古墳でしょうか。

その先は細道を辿って西殿塚のほうへ。

このあたりで、急に雨が降ってきました。
西殿塚古墳の前方部右裾に出たところ。

前方部先端中央には拝所が。ここに来るのは8年ぶりでした。

そこにあった、2つの古墳の説明板。

大和古墳群(おおやまとこふんぐん)
西殿塚(にしとのづか)古墳・東殿塚(ひがしとのづか)古墳
西殿塚古墳、東殿塚古墳は大和古墳群のなかでも最も高いところに位置する前方後円墳で、ともに前方部を南に向けて築かれています。これら2基の古墳が築かれた丘陵の尾根上には、中山大塚古墳・燈籠山古墳などの前方後円墳が連なるように立地し、大和古墳群中山支群と呼ばれています。西殿塚古墳
西殿塚古墳は全長約230m、後円部径約145m、前方部幅約130mです。墳丘は東側で三段、西側で四段の段築により形成されており、後円部および前方部の墳頂に方形壇が存在します。
現在、墳丘部分については「手白香皇女衾田陵」として宮内庁により管理されています。平成元年(1989)には宮内庁書陵部により墳丘の調査が実施され、墳丘の各所から特殊器台形土器や特殊器台形埴輪・特殊壺形埴輪などの遺物採集されています。
また、平成5~7年(1993~95)には天理市教育委員会により墳丘周辺の範囲確認調査がおこなわれ、墳丘東側くびれ部と前方部東裾において墳丘斜面の基底石と掘割(周濠相当の落ち込み)が存在することが確認されました。この調査の際にも、有段口縁が特徴の特殊円筒埴輪など多量の初期埴輪が出土しました。東殿塚古墳
東殿塚古墳は全長139m、後円部径65m、前方部幅49mあり、周囲には古墳の外周を区画する長方形の地割が残っています。後円部墳頂には多量の板石が散乱していることから、埋葬施設は竪穴式石室であると推定されています。
平成9年(1997)に天理市教育委員会が前方部西側で実施した発掘調査では、墳丘上段裾の基底石列や墳丘下段裾の葺石、掘割(周濠相当の落ち込み)と外堤を検出するなど、多くの新たな知見が得られました。とくに、墳丘裾と外堤の間の掘割内でみつかった祭祀施設では、初期埴輪と二重口縁壺や甕、高杯などの布留式土器、さらに近江系や山陰系など外来系土器との共存が確認され、初期埴輪の年代的位置づけと古墳の築造時期を考える上で非常に重要な資料が得られました。
埴輪配列を構成した初期の円筒埴輪には、朝顔形埴輪・鰭付円筒埴輪・鰭付楕円筒埴輪・特殊器台形埴輪などがあります。そのなかでも鰭付円筒埴輪には船をモチーフとして描かれた線刻絵画があり、当時の葬送観念を反映するものと考えられる重要な発見として知られています。築造時期
これら2基の古墳の築造時期については、これまでの発掘調査等で出土した初期埴輪からみて、特殊器台形埴輪を主体とする西殿塚古墳が先行し、次に朝顔形填輪・鰭付円筒埴輪・鰭付楕円筒埴輪が出現する東殿塚古墳が築造されたものとみられます。しかし、出土遺物が示すそれぞれの古墳の時間に大きな隔たりはなく、埴輪の出現から成立期(3世紀後半)に連続的に築造されたものと考えられています。
令和5年(2023)3月 天理市教育委員会
宮内庁により「手白香皇女衾田陵」として管理されている西殿塚古墳ですが築造時期が合いません。

西殿塚古墳の前方部先端側。左奥へ後円部。

西殿塚古墳を前方部左裾側から見ています。

そのあたりから南西方向。

予定ではあと1時間ぐらいかけて周囲の古墳を見て回るつもりでしたが、傘も無いまま雨に降られたので足早に宿に戻りました。途中で左手に見た、火矢塚古墳。

2024年12月下旬訪問