吉岡巨石墳を見た後は、周囲にまだまだある古墳に行く余裕がないことを残念がりつつ、行橋市に戻って航空自衛隊 築城(ついき)基地の北の石並古墳へ。
県道25号から枝道を入っていくと左手に進むと、見事な墳丘が出現。
駐車場は無いので、近くに邪魔にならないように停めました。
こちらが説明板。
石並古墳と稲童(いなどう)古墳群
石並古墳は稲童古墳群の中で最大かつ唯一の前方後円墳で、稲童20号墳とも呼ばれます。墳丘の復元長68m、後円部径58m、前方部幅20mと、後円部に比べて前方部が極端に小さい帆立貝形をしています。古墳時代中期、5世紀頃に造られたとみられます。墳丘の周囲には幅6mの周溝が2重にめぐっています。墳丘には円筒埴輪を立て、後円部の斜面には海岸から集められたと思われる石を葺き並べていました。
稲童古墳群は周防灘の沿岸に1㎞にわたって広がる、古墳時代前期から後期にかけて築かれた古墳群で、昭和40年(1965)の分布調査で25基が確認されました。発掘調査された11基からは、甲冑や武器など軍事色の強い副葬品が数多く出土し、武人たちが葬られた墓だと考えられます。平成27年9月、特に優れた8・15・21号墳の出土品が国の重要文化財に指定されました。
行橋市教育委員会
平成27年度 防衛省再編交付金特別事業
平面図、出土品、周囲の分布写真。
右奥は稲童21号墳で、手前が石並古墳(稲童20号墳)で右に短い前方部。
前方部側に回り込むと、仕切りロープが無くなったので上らせていただきました。
意外に大きな前方部。
その前方部から見上げた後円部。
右奥は21号墳。手前はくびれ部。
後円部のテラス。
広い墳頂には陥没穴も。
前方部を振り返って。
上記から右へ。周溝の雰囲気がわかります。
前方部の反対側(後円部先端方向)
北方向に稲童21号墳。そことの間の右の凸ッとしたあたりが稲童19号墳と思われます。
石並古墳、周堤が立派ですね。
行橋市のサイトで、21号墳からの金銅立飾付眉庇付冑の画像が見られます。野球帽形のカブトの頭頂部に朝鮮半島ルーツとみられるデザインの金色に輝く飾りを立てた優美なもので国内外に類例が無い、とのこと。
稲童古墳群出土品 - ゆかし、ゆくはし。 ―行橋市の歴史と文化財― - 行橋市ホームページ
道の反対側の稲童17号墳、18号墳を探そうとするも草が繁っているので早々に諦め、道すぐ先の海岸へ出てみました。
遠浅の海岸が広がっていました。
北方向。
ズームすると、12㎞先の北九州空港の島と橋が確認できました。
稲童(いなどう)古墳群は南1㎞に何基か残っていますが時間の都合で次の機会としました。
石並古墳の西側の緑の丘も、改めて「古墳」で検索すると、えげつないほどの数ありました。ここを巡るには一日あっても足りないでしょう。
2023年9月上旬訪問