墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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青塚古墳 宮城県大崎市古川塚目屋敷

今回からは宮城県北部・大崎平野の古墳旅。

訪ねたのは前回までの新潟墳行の前日(2022年9月上旬)でした。JR東日本の大人の休日倶楽部パスを利用した、連続日帰り遠出古墳旅。

 

東北新幹線の古川駅で車を借りて回りました。最初は駅から車で10分ほどの青塚古墳。

 

グーグルマップに誘導されて塚目生活センター前に。


その先の木立の中、鳥居の背後に墳丘が。


道路の先に、もうひとつ鳥居。扁額には熊野神社。

 

鳥居の左側に説明板。

なんと4世紀代に遡る可能性もある、全長90m前後の前方後円墳と考えられるそう。

青塚古墳(あおつかこふん)
青塚古墳については、古くは「奥羽観蹟聞老志(1719)」にその存在が記載されています。
この古墳は、大崎平野のほぼ中央に位置し、江合川や支流の旧地形路が形成したとみられる自然堤防上に立地する古墳であり、主軸の全長が約90m前後と考えられる東北地方でも屈指の大型古墳です。
古墳の形態は、一見円墳状の高まりが認められる程度ですが、南側に前方部が張り出す前方後円墳との可能性が考えられ、前方部が後円部に比べ著しく低いのが特徴であると推定されます。
現在前方部と考えられている場所は人為的な削平を受けており、ほとんど前方部の痕跡が認められません。
昭和33年に熊野神社を再建する際の発掘調査では主体部が発見されました。
その後昭和55年に規模及び性格の確認のために発掘調査が行われ、古墳全体の形態や築造年代が推定されましたが依然として不明な点が多く、出土した遺物等から築造年代が4世紀代まで遡る可能性も指摘されています。大崎平野周辺は本格的な古墳が築造された北限の地域であり、本古墳は単に地域の古墳文化の解明のみならず、北辺域の古墳成立の実態を考える上でも重要な位置を占めています。
古川市教育委員会

 

説明板には古墳「想像図」

 

石段を上がった先、つまり墳頂の、熊野神社。

 

神社拝殿から振り返って。

 

墳頂には鐘楼も。

 

東方向に古川の街が。

 

円を描く後円部裾を見下ろして。


摂社末社もあります。

 

祠の脇にも通路。

 

降りたところに不動堂。

 

そこから見上げた墳頂。

 

引いた位置から。鳥居は最初に目にしたもの。

説明板の「想像図」によれば、かつてはここも後円部だったようです。

 

後円部の東側のカーブ。

 

想像図では左の住宅の方へと前方部が伸びていたようですが、今は前方後円墳の面影はありません。

 

後円部の周囲には水の溜まる溝がありました。

 

古墳を北側「後円部」先端側)から。

 

携行していた「東北古墳探訪」によれば青塚古墳は全長108mの前方後円墳。築造時期は4世紀末~5世紀前半。後円部が削平された際、主体部として5mの粘土槨に3mの木棺があったことが確認されており、出土品には二重口底部穿孔壺型土器があるとのこと。

大崎平野は、古くから畿内勢力との結びつきがあった土地なのだそうです。