前回のアイセルシュラホールから北北西に200mほどに鉢塚古墳があります。
その道沿いに、色とりどりのバラが咲く素敵なお宅がありました(5月下旬)
枝道に入ると、鉢塚古墳の後円部が。
後円部側は行き止まりだったので、北側を回って前方部側へ。
幼稚園と民家の門の先に見えているのですが…
墳丘裾も金網で囲まれています。
それ以上は近寄れないと思ったのですが、藤井寺西小学校沿いの案内板(右が北)をよく見ると、墳丘の南裾に路地があったので、戻って回ってみることに。
回り込むと辺りが開けて説明板も!
(ちゃんと下調べをしておけば良いだけですが…)
墳丘への扉も開いていました。戻って良かった!
鉢塚古墳
国史跡 1979年12月22日指定
藤井寺市藤井寺4丁目
時代:古墳時代 中期後葉
古墳の形:前方後円墳
墳丘長:60m
墳丘の高さ:6.5m
鉢塚古墳は、仲哀天皇陵古墳の北側、濠から約100mの位置に造られた前方後円墳です。前方部を西に向けて造られています。後円部の高さは6.5mで、墳丘長に対して腰高な墳丘が特徴的です。墳丘には葺石が施されていないものと推測されています。墳丘の周囲には濠が巡りますが、埋没保存されています。墳丘から円筒埴輪が採集されています。
藤井寺市 平成28年3月
前方部左裾から登らせていただきます。
前方部墳頂から後円部方向。優美な形を残しています。
登ってきた方向(南)を振り返って。背後の”山”が岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)です。
北西側には、先ほどの幼稚園と民家の門。
後円部に渡って前方部を振り返って。
後円部先端側には幼稚園の校舎。
後円部から南東方向。木の葉の隙間からアイセルシュラホールがちらりと。
「古市古墳群をあるく」によれば、出土した円筒埴輪の形式から築造時期は5世紀後半で、岡ミサンザイ古墳に近い時期に築造されたとも考えられるものの陪塚かどうかは定かではないとのこと。
鉢塚古墳の墳丘の余韻を感じながら藤井寺駅へ向かいました。
途中左手に辛国神社。
右手には葛井寺。毎月18日が国宝の千手観音の開帳日です。
そして懐かしい雰囲気のアーケードへ。
この日は北口側の、Orenchi岡田園で開催されていた「墳考墳散」イベントに寄りました。