墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

八雷古墳 福岡県行橋市長木

前回のビワノクマ古墳からは南西方向へ、国道201号・長峡川支流を遡るように幾つかの古墳を巡ります。八雷(はちらい)古墳は直線距離で1.5㎞。

 

黄金色の田んぼの中を通るのは気持ちがよいです。八雷神社は多分中央右の小山のあたり。

 

神社に到着。正面からも、大きな墳丘が丸見えです。

 

最初の階段を登ったところが墳丘の基壇面でした。

 

まずは拝殿に参拝。


社殿の右手に解説板。

市指定文化財 八雷(はちらい)古墳
指定年月日:昭和56年2月2日
八雷神社の社殿の後側にある丘が前方後円墳の八雷古墳です。墳丘の全長は74m、後円部径39m、前方部幅76mです。墳丘の周りには周溝と周堤がめぐり、周堤まで含めた全長は100mにおよびます。前方部は二段に築かれていますが、後円部には段がありません。また後円部に比較して前方部幅が非常に大きいことが特徴です。石室の形は副葬品は不明ですが、墳丘には武人などの形象埴輪や円筒埴輪が立てられ、6世紀前半に築かれた古墳と考えられます。
八雷古墳はこの時期の豊前、豊後地域で最大級の古墳であることから、京都平野を拠点とした豊国(よよのくに)屈指の豪族の墳墓と考えられます。
また、墳丘の形が大阪府羽曳野市の白髪山古墳(伝清寧天皇陵)と相似形であることから、八雷古墳の被葬者が畿内政権ともつながりがあったことがうかがえます。
行橋市教育委員会

 

測量図部分。前方部の裾が大きく拡がっているのがわかります。

 

可愛らしい武人埴輪が出ています。

 

公式サイトにて、大阪府の白髪山古墳との同縮尺比較が見られます。八雷古墳はその3分の2の相似形になるとのこと。

八雷古墳(はちらい こふん) - ゆかし、ゆくはし。 ―行橋市の歴史と文化財― - 行橋市ホームページ

 

「順路」のサインがあったので、右から後円部の周溝を進みます。

 

周堤の膨らみも感じながら。

 

左に後円部を見上げながら。

 

後円部を回り込んだあたりから墳丘に上がります。

 

後円部斜面の中腹から。右奥へ広がる前方部。

 

鞍部から前方部側。ワイド!

 

振り返って後円部墳頂へ。

 

墳頂の様子。


社殿側は墳丘が結構削られています。

 

後円部先端側。眼下の周溝を右から左に歩いてきました。

 

後円部から前方部方向を。

 

前方部へ移って、前方部から見る後円部方向。

 

前方部先端方向。傾斜は比較的緩やかです。

 

左右の隅を。

 

前方部の先端側を横から。

 

前方部の先は田んぼです。

 

南東側。

 

南側。

2023年9月上旬訪問