墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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ビワノクマ古墳 福岡県行橋市延永

2023年9月の北九州古墳旅の2日目、行橋駅前のホテルを後にして最初に向かったのは、ビワノクマ古墳。

ここから国道201号沿いに、南西に巡っていきました。

 

ビワノクマ古墳には午前6時半に到着。

 

上記の右の道路脇にあった、地区広域の説明板。

歴史の里・延永(のぶなが)マップ
行橋市北西部に位置する延永地区は、延永ヤヨミ園遺跡の調査などから、およそ1700年前頃から大規模な集落が営まれていたことがわかりました。平安時代の終わり頃まで、行橋の市街地一帯は大きな入り江となっていて、延永小学校付近まで海が迫っていたようです。延永ヤヨミ園遺跡は、平安時代の文献に登場する「草野津」という港に関係する遺跡だと考えられています。
4世紀後半に築かれたビワノクマ古墳(県指定史跡)と6世紀の初め頃に築造された八雷古墳(市指定史跡)はいずれも前方後円墳で、この地域に大きな勢力を持った豪族が存在していたことを示しています。また八雷古墳からは、豊前地域では珍しい「武人」をかたどった人物埴輪が見つかっています。
また延永地区では、村の干ばつを救うために大蛇を退治した、延永長者の末娘の伝説が語り伝えられてきました。長者の末娘の霊魂は、みやこ町勝山の「胸の観音」に祀られています。
毎年5月3日の恒富八幡神社の神幸祭では、神輿の川渡りが行われます。上津熊・中津熊・下津熊地区の祭りで、3基の神輿は町内を練り歩き、長音寺橋の下流付近で勇壮な掛け声とともに長峡川(ながおがわ)を渡ります。
隣の稗田地区の王野八幡神社では、毎年5月3日・4日に下検地楽が奉納されます。楽の中心は子どもたちで、頭にニワトリの尾羽を飾り華やかに舞うことから、ニワトリ楽とも呼ばれています。

 

左の標識に従って、階段を上がりましょう。

 

上ったところに説明板。全長50mの前方後円墳です。

県指定史跡 ビワノクマ古墳
昭和30年9月6日指定
長峡川(ながおがわ)の西側、標高25mの丘陵上に築かれた長さ50mの前方後円墳です。
昭和30年(1955)、墓地造成中に発見され、九州大学が発掘調査を行いました。その後、平成21年(2009)より行橋市教育委員会が墳形確認の調査を行い、前方後円墳であることがわかりました。
埋葬施設は、長さ3.8m、幅1.2m、高さ1.7mの竪穴式石室で、床面には粘土床がつくられていました。石室からは銅鏡1、硬玉製勾玉1、青色ガラス小玉51以上、素環頭大刀1、鉄剣1、鉄鏃19、靫(矢筒)1、甲冑類の小札多数、少量の土器片が出土しています。
なお、墳丘の下から古墳築造以前の箱式石棺墓2基、土壙墓2基が発見されており、この一帯に古墳築造以前の墳墓群が存在することもわかりました。これらの墳墓群の副葬品と考えられる鏡片も古墳の盛土から出土しています。
ビワノクマ古墳は、墳丘の形態、石室の構造、副葬品などから、4世紀末頃に京都(みやこ)平野を支配した有力者の墓と考えられています。
行橋市教育委員会

 

一番高い箇所。

 

最上部には祭壇のある土盛り。

祭壇左の開口部には、右から一周巡って気づきました。

 

頂上に立つ石碑。

 

回り込んで。


その裾に、竪穴式石室が開口している箇所が。

 

フラッシュで。蜘蛛の巣が撮れました。

 

蜘蛛の巣を壊さないように手を伸ばして室内を撮ったつもりが、ピントが手前になっていました。

開口部の幅は30㎝ぐらいでしょうか。上部を覆う石材が外れた部分になります。

 

開口部あたりからの眺めは、山の先っちょのみ。

 

さきほどの後円部墳頂の中央以外は墓地になっています。

後円部から前方部を。

 

墳丘の斜面になるでしょうか。

 

くびれ部(?)あたりからの後円部。

 

行橋市のサイトにて、航空写真と石室内のはっきりとした写真が見られます。

ビワノクマ古墳 - ゆかし、ゆくはし。 ―行橋市の歴史と文化財― - 行橋市ホームページ

上記の解説によれば、古墳が築かれた時の地形は、すぐ近くまで海が入り込んで湾のようになっており、丘の麓にある延永ヤヨミ園遺跡は、船の一部や西日本各地の特徴を持った土器、役所のような建物が確認されていることから、地域の交通拠点となる港町であったと考えられているそうです。
ここからは、水に関わる祭祀を行う施設と考えられる導水施設(近畿地方中心に分布)が九州で初めて発見されており、ビワクノクマ古墳出土の小札革綴甲(国内では奈良県の別所城山第2号墳出土品との2例のみ)と合わせて、この地域の文化的特徴(~近畿地方の文化が瀬戸内海を通じて九州に上陸する地点であること)を象徴しているとのこと。

「延永ヤヨミ園遺跡を見下ろすビワノクマ古墳に葬られた人物は、港を管轄し、近畿地方の文化を率先して取り入れる人物だったのかもしれません」ともありました。

 

2023年9月上旬訪問