墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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石塚山古墳 福岡県京都郡苅田町富久町

行橋市歴史資料館からは5㎞ほど北の、苅田町(かんだまち)へ。

町役場に隣接する石塚山古墳を訪ねました。

前方部を南東に向ける全長120mの前方後円墳で、古代には目の前が周防灘だったようです。

 

こちらが昭和モダンな苅田町役場。老朽化による建て替えが検討されているようです。

 

役場の駐車場に面して、苅田町歴史資料館があります。

石塚山古墳をはじめ町内の遺跡に関連した展示が無料で見られます。

 

館内は撮影不可ですが、↓こちらのサイトで様子がわかります。

苅田町歴史資料館 | 観光スポット | 【公式】福岡県の観光/旅行情報サイト「クロスロードふくおか」

 

その資料館のすぐ南が石塚山古墳の後円部。

 

今回、古墳の説明板を探せなかったのですが、上記のサイトに写真があったので書き起こしました。

国指定史跡 石塚山古墳
指定年月日:1975年1月31日国指定
所在地:福岡県京都郡苅田町富久町1丁目
この古墳は、九州で最大・最古級の典型的な畿内型前方後円墳である。
墳丘は全長約120mを測り、前方部は周防灘側にあり、後円部は半径約70mで二段築成である。墳頂は径23mで平らになっており、その中央に主軸を前方部に向ける竪穴式石室があり、墳丘上は人頭大の葺石を敷き詰めている。前方部は細長く、先端がやや広がり撥形を呈している。
後円部の石室は寛政8年(1796)4月21日に開口した。寛政8年の記録は小笠原文庫に残る。記録によると銅鏡十数面の他に剣・矛・鏃が出土。現存するものは、三角縁神獣鏡7面・素環頭太刀片・銅鏃1がある。銅鏡はすべて中国魏代の舶載品で、素環頭太刀片・銅鏃も含めて国指定重要文化財(1953年3月31日指定)となっている。
1987年後円部の石室が苅田町教育委員会によって学術的発掘調査が行われた。調査の結果、石室は大破を受けていた。調査中に出土した遺物は、中国魏代の三角縁神獣鏡片1、後漢代の獣帯鏡片1や勾玉・管玉・鉄鏃・小札の冑片などの鉄器・土器片である。
本古墳の築造年代としては、1796年と1988年に出土した遺物や墳丘の形態などから4世紀の初頭頃と推定される。
苅田町教育委員会

 

裾から見上げた後円部。

 

奥の資料館から右の小径を来たところ。

 

前方部方向。

 

前方部上には浮殿神社が鎮座。

 

前方部先端方向を横目に上がります。

 

前方部先端側から拝殿を。その背後が後円部。

 

振り返っての前方部先端方向。こちら側は高さがあります。

 

地図を見ると350mぐらい先で、埋め立て地のような地割になっていますね。

 

ストリートビューで、階段を降りた道路側から。説明板はここにあった。

 

さて後円部へ向かいます。

 

本殿は後円部斜面にかかっています。

 

本殿の後ろ、結界の中に石が。

 

200年前から祀られているのでしょう。

 

後円部斜面には葺石がごろごろと。

 

後円部斜面のテラス。

 

後円部墳頂。広いです。


振り返った前方部側。

 

後円部墳頂にも社があったのでしょうか。

 

後円部先端方向。

 

後円部斜面から資料館。

 

後円部斜面から左奥へ前方部。

2023年9月上旬訪問。