墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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浦間茶臼山古墳 岡山県岡山市東区浦間

前々回の山陽団地の古墳を見学した後は、砂川に沿って南へ、瀬戸町を通り抜けて山陽新幹線の南側エリア、吉井川右岸の浦間茶臼山古墳を訪ねた。

 

グーグルアースで前方後円の形がわかる。左下(南西)に後円部を向ける。

 

その後円部側の道路から。右が後円部で左奥へ前方部が続く。

 

振り向いた北西方向には田んぼが広がる。右奥に山陽新幹線が写っています。

 

ガードレールの切れ目に入口が。

 

後円部の斜面を上る。

 

が、墓地から先へは上がる路がなく。

 

側面についた路を前方部側へ。

 

こちらも後円部斜面の墓地。

 

くびれ部のカーブ。

 

その先に説明板があった。 3世紀末という古墳時代初期の前方後円墳で、奈良の箸墓古墳の2分の1の相似形であるという。

国指定史跡 浦間茶臼山古墳
全長約138m、後円部径約61mの大型前方後円墳。3世紀末頃に造られたと推定されています。
本古墳は前方部の形状が初期の前方後円墳に特有の形態(三味線の撥のような形を呈するなど)をもち、吉備地方最古の前方後円墳と推定されています。
後円部は高さが約13.8mあり、三段で築かれています。現在墳頂には巨大な乱掘壙が残されています。その地中深い位置には、長大な木棺を収めるための、長さ7m近い竪穴式石槨が板状石を積み重ねて造られています。
近年(1988)の発掘調査により、銅鏡(細線式獣帯鏡)、銅鏃・鉄鏃・鉄刀・鉄剣といった武器類、鎌やスキ先など農具類、鑿や斧など工具類、ヤスなど漁具類などが乱掘を免れて確認され、質量ともに豊富な副葬品の一端が窺われました。
また都月型埴輪(直線と曲線からなる特徴的な文様が刻まれた最古式の円筒埴輪)が採集されています。
この古墳に埋葬された人物は、古墳時代初頭の備前に君臨した大首長と想定されています。しかも当古墳は畿内最古の前方後円墳とされる奈良県桜井市の巨大な箸中山古墳(箸墓)の2分の1の大きさに造られているとの指摘があり、畿内政権との関係を探るうえでも重要な古墳です。
昭和49年(1974)11月25日、国の史跡に指定されました。
平成13年3月 岡山市教育委員会

 

岡山市のサイトには後円部径は81m、前方部長が61mで、葺石を有するとあり、また、箸墓古墳の相似形墳のうち畿内以外で最大で、古墳時代に巨大な勢力を誇った吉備の始まりを告げる古墳といえるとも。

http://www.city.okayama.jp/museum/kofun1/01.html

 

一段上がった前方部テラスの上。

 

路のように見えたので、ここを上がらせていただいた。

 

前方部墳頂の様子。

 

前方部端からその先を。

 

後円部側へは腰まで草が繁っていたので、一旦テラスへ降りる。

 

くびれ部のあたり、テラスの上に登り口が。

 

そこから見下ろす北西方向。

 

後円部への路があった。

 

鞍部から後円部墳頂への上り。

 

左を見ると後円部(三段目)の丸みがわかるテラスが巡る。

 

ちょっと先まで行ってみたが草が深くなるので引き返す。

 

後円部墳頂も、草むらだった。

 

墳頂の中央あたりに、説明板に架かれていた「巨大な乱掘壙」らしき穴が。

 

入ると踏み抜きそうなので、周囲からのみで。

 

周囲は竹が密生して眺望はほとんど無かった。

 

端から斜面を見下ろして。

 

くびれ部まで戻って、裾まで降りて振り返る。

 

道路へ戻って振り返る。

 

岡山墳行2日目終了。

 

夜は西大寺のホテルに泊。窓からの眺めが良かった。