墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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土口将軍塚古墳 長野県千曲市土口

前回の五量眼塚古墳からは急な下り坂(帰路は登りです)

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7分ほど下った先に、土口将軍塚古墳の前方部先端部!

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前方部に上がって後円部方向を。

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くびれ部から後円部右側。すぐ先に千曲川。

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後円部左側も斜面の下に松代町土口の集落が。

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墳丘が舌状台地の尾根上に築かれているのが実感できます。

後円部墳頂を。

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振り返っての前方部側。全長67.7mの前方後円墳です。

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後円部から北西側の眺め。千曲川に県道387号線の橋が架かっています。

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後円部の先端方向。この先で急坂を降りると、古大穴神社(気になる社名)に出るようです。

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後円部先端裾に標柱と説明板がありました。

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長野県史跡 土口(どぐち)将軍塚古墳
昭和48年3月12日指定
長野市と更埴市にまたがる薬師山の長尾根の先端部に立地する前方後円墳で、昭和57年~61年まで両市教育委員会合同で、国庫補助事業により、重要遺跡確認緊急調査が行われ、全長67.7m、後円部径40.5m、前方部幅30.5m、後円部高8.1m、前方部高3.9mの二段築成の構造が確認された。
墳丘構築は、旧尾根地形を削り、基盤を整えて盛土し、全面に葺石を施しているが、この用材は周辺の山地の石英せん緑岩の転石であり、特にくびれ部の残存状況が良好である。
墳頂部と中段テラスには、円筒、朝顔形を中心に少数の形象埴輪を交えた埴輪列が巡り、全体で約700本と推定されている。
器面に「叩き」を施した埴輪が出土しており、全国的にも類例の少ない資料として注目されている。
内部主体は、後円部中央に二基の竪穴式石室が並列して検出されたが、破壊が著しく両石室の関係等不明部分が多い。副葬品は鉄鏃、甲冑片、土師器等である。
築造年代は、5世紀中葉前後と推定され、森将軍塚古墳、倉科将軍塚古墳、有明山将軍塚古墳などとともに、善行寺平の歴史を探るうえで貴重な遺跡である。
長野県教育委員会

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後円部裾から前方部方向。テラス上ですね。

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鞍部を横から。

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前方部左裾から。左奥が後円部。

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前方部先端を横から。左が古墳で、尾根を削って成形した感じがわかりました。

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場所はこちら。古墳の真下を、上信越自動車道のトンネルが通っていました。