墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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五量眼塚古墳 長野県長野市松代町岩野

皆神山の山頂から降りた後は西北西に4.5㎞の妻女山(さいじょざん)展望台へ。

 

展望台までは車で上がれました。桜並木は蕾の濃いピンク。

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招魂社の北側に展望台がありました。

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川中島古戦場 妻女山(さいじょざん)
ここは、永禄4年(1561)9月10日の第4次川中島合戦の折り、越後の上杉謙信が陣を設けた山。
ここから川中島平は一望でき、海津城の動静を伺い知ることができた。
同年9月
9日、海津城からもくもくと立ち上る煙を見た謙信は、武田方の戦いの準備を察し、その夜、山を下り千曲川や犀川を渡って八幡原の信玄の本陣を目指した。
その様子をのちに頼山陽(江戸時代の儒学者)が「鞭声粛々、夜河を渡る・・」と詠んでおり、ここから南西約1㎞には「雨の宮の渡し」の跡が残っている。
なお、展望台への登り口に「槍突き(尻)の泉」がある。謙信が槍の石突きで突いたところ、水が湧き出たという伝説があり石碑が残っている。
長野市

 

階段を上がると千曲川が開いた川中島の河原が一望に。北北西方向。

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合戦図の青は上杉謙信側、赤が武田信玄側の動きです。

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北北東方向。善光寺平が奥まで30㎞ほど延びています。

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東方向。ここから東へ連なる丘陵の先端に立地する、土口将軍塚古墳を目指しました。

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駐車場奥の右の林道を10数分歩いて(登って)出たこの分岐を右へ。

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額田大玉さんのサイトを、大いに参考にさせていただきました。

五量眼塚古墳

 

分岐からさらに数分進むと、右手に五量眼塚古墳(ごりょうがんづかこふん)が出現しました。

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かつては墳頂にあった標柱が墳裾に。

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墳頂は斎場山(妻女山)山頂でもあります。(山頂に築かれた古墳です)

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「古墳マップ」の紹介文によれば径35.2mの円墳で、造出しを合わせて東西40mで、同じ稜線上にある土口将軍塚古墳(5世紀中頃)と、ほぼ同年代とみられるそう。

古墳の名は「斎場山(≒妻女山)古墳」がメインで、五量眼塚古墳は丘陵のひとつ西側のピーク・竜眼平から派生した名前との説明でした。

斎場山古墳(五量眼塚古墳) - 古墳マップ

 

松の木の背後に広がる善光寺平の眺め。

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反対側の斜面の様子。

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