墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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割塚古墳 大阪府羽曳野市野々上

前回のサンド山古墳の前の道を、そのまま南西に11分歩くと割塚古墳の前に出ました。

 

駐車場を隔てた南側に、説明板を備えた墳丘が。

割塚古墳
国史跡 2014年10月6日指定
藤井寺市藤井寺4丁目
時代:古墳時代中期前葉
古墳の形:方墳
墳丘一辺長:30m
墳丘の高さ:3m
割塚古墳は、仲哀天皇陵古墳前方部の濠の南東隅から東へ50mの位置に造られた方墳です。墳丘から円筒埴輪が出土しました。
藤井寺市 平成28年3月

 

墳頂の様子です。一面腰丈ほどの草でした。幹だけになっている3本の木は、また枝が伸びるのでしょうか。

 

西側から。

 

現地では難しかったですが、グーグルアースだと方墳の形が把めます。

 

今回も「古市古墳群をあるく」によれば、割塚古墳は4世紀後半の築造で、岡ミサンザイ古墳(5世紀後半)より100年早く造られた(つまり後者の陪塚ではない)と考えられているとのこと。

すぐ北に、1980年代になって破壊された「岡古墳」と同時期の築造で、割塚の名前は元は2つの古墳が一体の塚だったものが割り裂かれたからとの言い伝えに由来するそうです。その岡古墳の調査では多くの埴輪が見つかり、準構造船を模した船形埴輪はアイセルシュラホールの外観モチーフになったとのこと。

 

駐車場前の道の突き当りが、岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)の前方部右下裾側の堤の角でした。

 

突き当たって右折した道は前方部先端側の直線。右が岡ミサンザイ古墳。

奥に拝所が見えていますが、かつては拝所の南側にも落塚古墳(直径20mの円墳)があったものの、やはり宅地開発で消滅しているそうです。