前回の番所山古墳から北に100mほど行った左側に、サンド山古墳があります。
こちらも住宅街の中に溶け込んでいる墳丘。
北側の角から。
画角によっては前方後円墳のようにも。
円墳が二つ並んでいるようにも。
二つの高まりの境目。
「應神天皇恵我藻伏岡陵倍塚 宮内庁」と刻まれた標柱。
南東側から。
南西側から。
「古市古墳群をあるく」では、「現状では長さ30m、高さ3mの双円墳状に見えますが、本来の形はわかりません」との記載。
また、誉田山古墳(応神陵)の陪塚と言うには少し距離があり、築造時期(5世紀後半)からしてその可能性はないとも。
サンド山の名の由来を知りたいと思いましたが、ちょっと検索しただけでは至れず。
(1500年以上残存しているので、砂っぽいということはないと思いますが…)
さて、次に訪ねる墳丘を、バスツアーで登らなかった大鳥塚古墳にするか、それとも西の岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)にするか、ちょっと迷いましたが、まだ歩けそうだったので、岡ニサンザイ古墳の南西にある割塚古墳へ向かいました。