前回のつづき。この住宅街には大きな前方後円墳・狐井塚古墳も残っていました。
陵西(おかにし)陵墓参考地と記された、宮内庁の高札。
墳丘の北側へ回り込むと、後円部(手前側)・前方部(奥側)の裾が、道路のカーブから見てとれました。
上記の道路を進んで振り返って。中央手前が前方部右裾、右奥へが後円部です。
こちらのガイドによれば、狐井塚古墳は築山古墳の陪塚とはいえ、全長75mもある前方後円墳でした。
大きな陪塚は、もう1基。
西側からみた、コンピラ山古墳。
墳丘に近づくために住宅地の小径を進みます。雰囲気がありました。
その先で、一瞬墳丘裾に沿う道が。
グーグルマップではピンが立っていないですが、さきほどの本によればこのコンピラ山古墳は直径95mの円墳で、円墳としては近畿地方で最大規模になるそうです。
桜井駅へ行く途中で立ち寄った築山古墳でしたが、こんなに沢山陪塚があるとは知らず、最後は早歩きで、駅に戻る時間がぎりぎりになってしまいました。