今回の墳行での最終目的地は西条盆地の中央丘陵の北端に立地する、国史跡・三ツ城(みつじょう)古墳でした。
前回の甲立古墳からは車で1時間。三ツ城古墳から広島空港までは同30分程の場所です。
駐車場完備(2ヵ所)の史跡公園として整備されていて、説明板は陶板です。
史跡三ッ城古墳は、丘陵を利用して造られた3基の古墳からなる古墳群です。
第1号古墳は、かぎ穴のかたちをした全長約92mの前方後円墳で、広島県内では最大の古墳です。墳丘は3段に築かれ、斜面は葺石で覆われています。それぞれの段には、円筒埴輪と朝顔形埴輪が約1800本立て並べられています。後円部の頂上には、箱形石棺を中に入れた石槨が2基と、箱形石棺が1基設けられています。
葬られた人は、大きさなどから考えて、安芸の地域をまとめていた大豪族と思われます。
第2号古墳は、お椀を伏せたかたちの円墳で、斜面には葺石がありますが、埴輪はありません。
第3号古墳は楕円形の古墳です。尾根と第2号古墳とを分ける溝の中に造られています。墳丘の中央には箱形石棺が1基あります。
三ッ城古墳は、昭和26年(1961)に最初の発掘調査が行われ、戦後における広島県の古墳研究の出発点のひとつとなりました。この古墳は、この地域の歴史を考えるのに、欠くことのできない重要な文化財です。
このため、昭和57年(1987)6月3日に史跡に指定されました。東広島市では、これらの古墳を、永く保存活用していくため、昭和62年度から5年にわたり古墳整備のための調査をすすめ、平成2年度から5年度にかけて、文化庁の史跡等活用特別事業により、古墳が造られた当時の姿に復元しました。また、古墳以外の部分は、建設省の補助事業により、公園として整備しています。
葺石・埴輪で優美に復元された前方後円墳は全長92m。5世紀前半の築造。
スマホ広角で。思わず足早になります。
横から鞍部を。手前側に造出が突き出ています。
前方部左裾側から。オリジナルの墳丘に70㎝盛土をしているそうです。3段築成とのことなので、手前の芝生の部分も墳丘と思われます。
先端側から見上げた前方部。
前方部裾にあった説明板。昔のカラー写真がありますが、周囲の地形がかなり違います。
三ッ城第1号古墳
この古墳は、全長約92m、後円部の直径約62m、前方部の先端の幅約66mの前方後円墳で、左右のくびれた部分には祭壇と考えられる造り出しがあります。
墳丘は3段に築かれ、それぞれの平坦面には埴輪が立て並べられています。埴輪は、上と中の段は一周していますが、下の段は後円部の途中で終わっています。
墳丘の周囲には、古墳と外部を隔てるための溝があり、西側の造り出しからは、溝を渡るための陸橋(通路)と、造り出しに登るための道が見つかっています。
埋葬施設は、後円部の上に3基あります。そのうち2基は内側の箱式石棺を石槨が包み込んだ二重の構造になっています。
埋葬施設の副葬品や、造り出しなどの出土品から考えて、5世紀前半に造られた古墳と思われます。
テラスで横を見て。
前方部に上がって後円部を。
埴輪列の上から。
前方部右裾の一段下のテラスから。
スマホ広角で。右側面側にも、埴輪が並ぶ造り出しがあります。
振り返った右裾先端方向。ため池の堤の盛土があり、平野側の眺望は建物の間から。
前方部の左隅墳頂に、2つの埋葬施設(1号、2号)の蓋石がありました。
右手の造り出しを横目に眺めながら後円部へ向かいます。
逆サイドの造り出しも見ながら。
後円部端から振り返って。
同じ位置から広角で。ジャンプ台のような感じ。
後円部墳頂ではガラス越しに埋葬施設が。
後円部中心部の2号埋葬施設は、箱形石棺の周りを石槨が包み込むものでした。
三ッ城第1号古墳 2号埋葬施設
この埋葬施設は、内側の箱形石棺のまわりを石槨が包み込むかたちのもので、二重の箱形石棺と呼べます。
箱形石棺の長さは約2m、幅30~50㎝、深さ約45㎝で、石槨は長さ約2.5m、幅約1mです。石棺・石槨のそれぞれには石の蓋がかぶせてありました。
石棺の内側には朱が塗られ、石棺の中には壮年の男性の人骨と、首飾り、櫛、腕輪、鉄の刀などがありました。
この埋葬施設は、後円部のほぼ中心にあり、この古墳を造らせた人物が葬られたのでしょう。
何枚か撮りましたが…
3号埋葬施設もガラスケース内に。2号に続いて造られた箱形石棺。
三ッ城第1号古墳 3号埋葬施設
この埋葬施設は、長さ約1.7m、幅約30㎝、深さ約30㎝で、床に2枚の敷石が並べられた箱形石棺で、2号埋葬施設に続いて造られました。
箱形石棺を納めるために掘られた穴は、長さ約3.6m、幅約2mの長方形で、箱形石棺との間に遺物を入れた穴を別に掘っています。
石棺の中には、首飾り、鉄の剣があり、箱形石棺の外側に穴には鉄の鉾(槍)とたくさんの鉄の鏃が納められていました。
箱形石棺といっても蓋石が大きいです。
ガラスケース越しの前方部。
後円部にはもうひとつ、石槨で包み込まれた箱形石棺・1号埋葬施設も。
三ッ城第1号古墳 1号埋葬施設
この埋葬施設は、最初に造られたもので、人を葬った箱形石棺のまわりを石槨が包み込むかたちのものです。
箱形石棺は、長さ約1.7m、幅30~40㎝、深さ約30㎝で、床に1枚の敷石があります。石槨の大きさは、長さ約2.3m、幅約80㎝です。石棺・石槨のそれぞれに石の蓋がのる二重の構造になっています。石棺の中には、女性と思われる人骨と、鏡・首飾りがあり、蓋石の左右から鉄の刀が2本出土しています。
グーグルアースでも後円部上の3つの埋葬施設がしっかり確認できます。左下が1号、その右上に2号、右下に3号です。
墳丘の隣(北側)には東広島市三ツ城小学校と、市の給食施設。
後円部の先端方向(南西側)には円墳があります。
三ツ城第2号墳。
三ッ城第2号古墳の埋葬施設
この埋葬施設は、箱形石棺と考えられていますが、多くの石が無くなっていました。
現在、石に囲まれたレンガ色の部分が、箱形石棺を納めるために掘られていた穴の範囲です。
また、この説明板の位置から、鉄の鏃5本がまとまって出土しています。
2号墳墳頂から振り返った1号墳の後円部。
1号墳を北側から。左が前方部、右が後円部。
立派な造り出しです。
ガイダンス施設は休館日でしたが、ガラス越しに。
発掘調査時の資料が見られるようです。
施設の前にあった周辺地形の模型。
中央やや右の三つの池に囲まれた緑の丘が三ツ城古墳です。こちら側(北)からは奥まった位置どりですが、池が連なるあたりに古代の道があったのかもですね。
後円部の右上側から広角で。
右端の2号墳との間は、”谷”が浅くなっています。
埴輪列もそこで一旦区切りを。
2号墳を背後(南)の丘陵側から。
その丘陵斜面に3号古墳(6世紀後半の楕円形円墳:長径8m)の跡があります。
その説明板。
三ッ城第3号古墳
この古墳は、第2号古墳と、後ろの丘陵とを区切る溝の中に造られた、楕円形の古墳です。
大きさは直径約8m、短径約4m、高さ約1mで、埋葬施設として、墳丘のほぼ中央に、箱形石棺がありあす。墳丘の上からは須恵器が見つかっています。
この古墳は6世紀前半に造られました。
その先に、パーゴラ付きのベンチがありました。
そこから眺める墳丘が最高の姿でした。
埴輪列に見とれました。