亀塚古墳には格納庫のような、かまぼこ屋根の資料館があった。
入場は無料。亀塚古墳についての資料展示かと思いきや、大分県~九州~西日本~日本全土~東アジアと、大きなスケールでの解説のある中身の濃い展示だった。
公式サイト
http://www.city.oita.oita.jp/o204/bunkasports/rekishi/amabe0516.html
1階が展示室、地階に研修室・事務室を備え、展示室には古墳時代のジオラマや副葬品などの出土品、市内の古墳、またさまざまな地域の古墳や墳墓などの模型が展示される。ミニシアターや映像・情報コーナーが設けられ、映像により古墳の世界が学習できるとのこと。
海部は「あまべ」と読む。
1時間はかけたい内容だったが、時間の関係で”流し見”。
大分市の古宮古墳の石室模型。
古宮古墳の位置を示す模型。
横穴式石室のタイプ別模型。
亀塚古墳の発掘調査の解説。
亀塚古墳発掘調査
豊後水道をみおろす坂ノ市地区の里の丘陵に築かれ、全長約116m、西側に四角い張り出し部をもつ県下最大の前方後円墳である。墳丘は、三段に積み上げられ、各段のテラスには白い玉砂利が敷き詰められ、赤くぬられた埴輪が並べられており、白く輝く古墳の姿は、まるで灯台のようにはるか海から見え、その巨大さから海を支配していた「海部の王」の強大さを今に伝えている。また、北方約30mには全長35mの小亀塚古墳が築かれており、亀塚古墳の被葬者と関係の深い人の墓と考えられる。
・墳丘上の埴輪列
古墳の各段のテラスや後円部の頂上の縁周りには、赤くぬられた円筒や朝顔形をした大きな埴輪が並べられている。また、後円部からスイジカイ文様の埴輪、家形埴輪片、二重構造の舟形埴輪の船首部分、造り出し部から家形、楯形埴輪片が見つかり、特別な場所であったことがわかる。
埋葬施設
後円部に二つみつかった。中央に位置(第1号主体部)する施設は、海部地方に産出する緑泥片岩を使った箱式石棺であり、長さ3.2m、幅1m、深さ1.2mの大規模なもので、300点をこえる曲玉や管玉、ガラス小玉の他に短甲や太刀、鉄鏃片などの武器が出土した。その東側には、すでに抜き取られていたが、痕跡から凝灰岩製のくりぬき式石棺(第2主体部)が安置されていたことが推測される。
復元された家形石棺(小亀塚古墳)
亀塚古墳の約3分の1の大きさで、全長35mほどの前方部が短いタイプの前方後円墳である。墳丘は丘陵の地山を削り(第1段目)、その上に土を叩きしめながら盛る(第2段目)といった方法で築いている。この古墳も主体部はすでに抜き取られていたが、その痕跡から刳り抜き式の石棺(家形)が想定され、曲玉や管玉が残されていた。
また墳丘の保護や装飾につかわれた埴輪や葺石は見られない。
亀塚古墳の100分の1模型。かつては全面が葺石で覆われ、テラス縁が円筒埴輪で荘厳されていた。
亀塚古墳出土の、船の線刻画がある埴輪片。
別府湾の北側から見た、亀塚古墳(中央奥)
左手前は、消滅した辻古墳。
現在、日豊本線が通る場所にかつてあったようだ。
立派な家形石棺も展示されていた。
王ノ瀬天満宮の家形石棺、との表示。県指定有形文化財。
明治初年頃、近くの道路改修の際に発見されたといわれ、長さ2.5m、幅1m、高さ1mで、畿内系家形石棺の古式タイプで5世紀後半ごろの築造と考えられるそう。
こちらの解説と同じようにも見えるが、そうであれば、辻1号墳(前出の辻古墳の陪塚の円墳?)の主体部と見られるとのこと。
https://www.pref.oita.jp/uploaded/attachment/2002342.pdf
大分県の主要古墳分布図。
瀬戸内海沿いの主要古墳マップ。今後訪ねたいところが沢山ある。
古代人が使っていた船、の埴輪レプリカ。大阪市の長原高廻り2号墳出土の国重文。
全国の大型墳丘墓マップ。
古墳時代の東アジアの解説。
世界の遺跡。日本以外未探訪。
ズームイン、ズームアウトがダイナミックな解説でした!