前回のつづき、亀塚古墳墳頂から。
北東方向。
北方向。防波堤の上、別府湾に船が浮いているように見えた。
後円部先端方向(北)へ降りる階段。
降りて振り返って。
西側から後円部を。
同、くびれ部を。
同、前方部を。
パノラマで。全長は116m。
前方部左裾側から。
そこから振り返ったところに、移設された弥生期の石棺があった。
弥生時代の石棺墓
発見地:大分市坂ノ市
発見日:平成22年9月
この石棺墓は、坂ノ市小学校校舎改築に伴って、平成22年度に行われた埋蔵文化財発掘調査で出土したものです。残存状況が良好であったため、亀塚古墳公園の一角に移し、復元しました。
石棺は16枚の結晶片岩製の石材で組み立てられています。発見時には6枚の石蓋が被せられ、石棺の周囲からは弥生土器の壺や器台が出土しています。
この石棺は2011年にこの場所に移設されました。
2019年3月26日設置
大分県教育委員会文化財課
亀塚古墳を前方部先端側から。
前方部右裾から、右側面を。
後円部右側裾から、くびれ部を。
同じ右側面でも、視角によっては全部緑。
亀塚古墳の後円部先端側に、もう一基。
短い前方部側から、奥に後円部。
説明板もあった。
小亀塚(こかめづか)古墳
亀塚古墳に約半世紀遅れ、5世紀後半に築造された小規模の前方後円墳です全長約35mのうち約25mが後円部を占めています。2段築成の墳丘は1段目を地山の削り出しでつくり、2段目は違う種類の土を交互につき固めた版築という工法で造成したものです。葺石は施していません。後円部中央の主体部には墓壙の状況からくりぬき式の大形石棺が据えられたいたと思われ、「王ノ瀬石棺」(市指定有形文化相)を参考例にした凝灰岩製のくりぬき式家形石棺をレプリカとして設置しています。
この古墳は海部勢力が次第に弱まっていった時期を証明する資料として貴重です。
よくできたレプリカが墳頂に。
別の角度で。奥に亀塚古墳。
小亀塚古墳を前方部左裾側から。